TOKYOism COLUMN VOL.17
tokyoism
Column2021.5.31

東京の「No.18」

背負った男たちによって、ただの数字が特別な意味を持つことがある。

それが歴史となり、伝統となっていく。

例えば、イングランドのマンチェスター・ユナイテッド。

「5人目のビートルズ」と呼ばれ、アイドル的な人気を誇ったドリブラー、ジョージ・ベストが生み出した7番の栄光は、エリック・カントナ、デイビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドに受け継がれていった。

あるいは、スペインのレアル・マドリー。

伝説のストライカー、エミリオ・ブトラゲーニョが好んで背負った7番は、スペインの至宝、ラウール・ゴンサレスや、このクラブで名実ともに世界最高の選手となったクリスティアーノ・ロナウドに引き継がれた。

FC東京にも、大切に守っていくべき、系譜が生まれつつある。

石川直宏から橋本拳人に託され、品田愛斗に渡った18番――。

これは、18番でつながった3人の男たちの絆の物語である。


僕が、東京を強くして、優勝させる

品田愛斗から連絡を受け、その覚悟を聞いたとき、石川直宏は自身の中に熱いものが沸き立つのを感じた。

「愛斗が『東京を日本一のクラブにしたい。自分が18番を背負って、その象徴になりたいんです』と言ったんです。例えば、(川崎)フロンターレで14番を背負った(中村)憲剛さんがチームをあれだけ強くして、優勝へと導いた。『僕もそういう存在になって、東京を変えたいんです』と。それを聞いて鳥肌が立ちましたね」

そして思い出したのは、自身が品田と同じ20代前半だった頃の出来事である。

FC東京が戦いの場をJ1に移して4シーズン目が終了した2003年、クラブの象徴的な存在で「キング・オブ・トーキョー」とファン・サポーターから親しまれてきたアマラオの退団が決まった。

そのオフ、石川はクラブからある提案を受けた。アマラオが付けていた11番の継承である。

「強化部の方から『11番を付けないか』と勧められたんです」

石川がその提案を受け入れていたら、18番の系譜が生まれることもなかったわけだ。


このとき、石川には11番を引き継ぐこと以上にやり甲斐を感じ、チャレンジしたいことがあった。

「11番が魅力的な番号だったのは確かです。ただ、僕は2002年の夏に東京に加入して、最初は36番で、2003年に18番に変えたばかりだった。18番を自分の色に染めて、このチームを引っ張っていくんだ、と心に決めていた。愛斗も当時の僕と同じような年齢。愛斗にも羽ばたいて行ってほしいから、全面的にサポートしたいと思いました」

一方、18番の最初の後継者である橋本拳人は、青天の霹靂とも言える申し出に、心底驚いた。

だが、品田の真剣な思いに耳を傾けるうち、6歳下の後輩を応援したいという気持ちが強まっていった。


「まさか、でしたね。自分が(ロシアのロストフに)移籍してわずか半年で、もう18番が別の人のものになってしまうのかって。寂しいというか。もちろん、すぐに東京に戻ってくるつもりはなかったですが、移籍するにあたってすごく気にかけたのが、18番を手放すことだったので。でも、僕のあとに付けるなら愛斗かな、とも思っていたんです」

橋本と品田はいずれも小学生時代から東京のサッカースクールに通い、U-15深川、U-18、トップチーム昇格とキャリアを重ねた生え抜きである。

年齢が離れているためアカデミー時代に一緒にプレーした経験はないが、今どきの若者にしては無骨で熱い品田のパーソナリティに自身と重なるものを感じた橋本は、トップチームでチームメイトになって以来、頻繁に食事に誘うなど、可愛がってきた。

「愛斗とはよく話をしたんですが、東京に対する思いは若手の中でも図抜けていた。トップに上がってから、試合になかなか出られなかったときでも、レンタル移籍なんて一切考えずに『俺はこのチームで絶対に出ます』と誓っていた。そんな愛斗の熱さに僕も刺激を受けたし、すごく応援したくなる選手だなって」

久しぶりに会話をかわした昨年末も、橋本は品田に熱く訴えかけられた。

「かなり真剣な口調で『拳人くん、18番を付けさせてください。俺がこのチームを背負うので』と言われたんですよね。愛斗の本気が伝わってきたので、最終的に『いいんじゃないか、がんばれ』と背中を押しました」

ふたりの先輩に「18番を付けたい」と申し出た品田の芯にあるのは、東京愛である。

小学生時代から過ごしてきたこのクラブが大好きだからこそ、品田は悔しくて仕方がなかった。

いつまで経ってもリーグ優勝を果たせないことが。

「川崎フロンターレはここ数年、すごくいいサッカーをしていて、直接対決でも圧倒的な差を見せつけられて。本当に悔しかったです。東京を強くしたい、と心の底から思いました。自分が東京を強いチームに作り上げていって、その中心選手として優勝したい。そうした思いで、18番を付けさせてほしい、と話しました」

もちろん、この番号の重みは十分理解している。十分理解しているからこそ、覚悟をもって申し出た。

18番について思うとき、品田の脳裏に浮かび上がるのは、2017年12月のピッチ上の風景である。

現役ラストシーズンのJ1最終節の翌日、石川はFC東京U-23の一員としてJ3のピッチに立った。

このとき、U-18に所属していた高校3年生の品田もベンチに入った。



「あの試合はナオさんを含めてオーバーエイジの選手がいたから、トップの選手だけでも戦えたと思いますが、ベンチ入りさせてもらえて、ナオさんが最後に躍動する姿を間近で見せてもらった。それはクラブの親心だったと思います。ナオさんの活躍で18番が東京の象徴となり、その後を引き継いだ拳人くんが日本代表に選ばれ、海外で活躍するようになったことで、その価値が大きくなった。次は誰が背負うんだ、となったとき、自分が背負いたい、と強く思ったんです」


愛斗が、感情を爆発させるとき

石川は「スピードスター」の異名を取ったサイドアタッカーだった。

橋本は攻守両面でのインテンシティの高さと推進力を誇るボランチである。

一方、品田は橋本と同じボランチを本職とするものの、プレーメーカータイプ。プレースタイルは三者三様、見事に異なっている。3人に共通するのは東京への想いと熱いハートだけ、とも言える。

ふたりの先輩たちが品田のストロングポイントとして挙げるのは、技術の高さだ。

的確に配球してリズムを生み出し、攻撃を組み立てる姿は、アカデミーの先輩である梶山陽平を彷彿とさせる。

それに加えて石川が惚れ込んでいるのは、強気な姿勢と意外性のあるパスだ。

「愛斗はボールを持つ姿勢がいいし、ゲームをコントロールする力もある。ただ、僕が一番ワクワクするのは、ズバッと入れる縦パス。そのタイミングで、そこに入れるのかって。ゲームをつくる力があるからこそ、愛斗にはゴールも期待したい。パスと見せかけてググッと持ち運んでワンツーからフィニッシュとか。サイドに展開すると見せかけて、相手をかわしてミドルを狙うとか」

そんな石川からのリクエストに対し、品田は恐縮しながらもこう答えた。

「なんでもできるようになりたいので、チャレンジしたいですね。課題があるのは良いことだと思っています。楽しみながら取り組みたいです」


一方、橋本は初めて品田を見た日のことが忘れられないという。

「愛斗が中学3年のときの高円宮杯(高円宮杯全日本U-15サッカー選手権大会)の決勝を偶然、西が丘(味の素フィールド西が丘)で見ましたが、こんなにうまい中学生がいるんだと驚きました。彼は絶対にトップチームに上がってくるだろうなって思いましたね」

橋本の言葉を聞けば、品田は中学時代からエリートで、順調にトップチーム昇格を果たしたように思えるかもしれない。

しかし、品田は高校時代に苦しい時期を過ごしていた。

「僕が高校2年のとき、(平川)怜がU-18に上がってきて、ボランチが3年生の(鈴木)喜丈くんと怜になった。自分はベンチスタートでクローザーみたいなことが多かったんです。ふたりの実力を認めていたので、頑張らないといけないと思っていたんですけれど、グロインペインを患って、思うようにプレーできなくなって、もどかしさを抱えて。あの頃は環境のせいにしたり、トレーナーのせいにしたりもしました。でも、3年になって、無駄な時間を過ごしたなと感じたんです。それからは誰よりも早くグラウンドに来て、誰よりも遅く帰ることを毎日のようにやりました。それで、ぎりぎりでトップ昇格を勝ち取ったんです」

そんな品田の過去を知り、合点のいった表情を浮かべたのは、石川である。

アカデミー出身の選手は、トップチームに昇格して試合に出られないでいると、その壁を乗り越えられず、大成できない選手も少なくない。

「だから、(渡辺)剛とか(安部)柊斗とか、アカデミー時代に挫折を経験し、大学で揉まれて戻ってきた選手のほうが逞しい傾向がある。でも、愛斗は試合に出られていなくても腐ることなく、ベクトルを自分に向けられていた。その理由を知りたかったんだけれど、高校時代にそうした苦労をしていたんだね」

石川はピッチの中で、自身の感情を表現できる選手だった。


喜びを爆発させ、激しいアクションで怒りを滲ませ、もがき、苦しむ姿を隠そうとしない。その姿に多くのファン・サポーターは共感を覚えたものだ。

自身がそうしたタイプだったからこそ、22歳にして感情をコントロールする術を身につけている品田には感心している。

「愛斗は苦しさ、もどかしさを抱えているはずなのに、それを見せない。熱い気持ちも秘めているのに、いつも涼しい顔をしてプレーしている。僕はポーカーフェイスができないタイプだったから、愛斗は凄いなって」

しかし、だからこそ、石川はこれからの品田の変化を楽しみにしている。

「これから愛斗が試合にコンスタントに出るようになり、勝負の責任を背負うようになったら、結果が伴わないとか、チームがひとつになれていないとか、逆に、苦しい状況を一丸となって乗り越えたりとか、たくさん経験すると思うんだ。そんなとき、きっと新たな感情が溢れ出てくるはず。嬉しくて、エンブレムを掴んでゴール裏に向かって咆哮したり、ピッチで涙を流したり。そんな愛斗の姿が見たいし、そうなったとき、選手としてさらにひと皮むけるんじゃないかな」


石川の言葉の意味するところを噛み締めて、品田が答える。

「僕はまだ、コーチングスタッフやベテラン選手に支えられている状況なので、先輩たちの振る舞いを目に焼き付けて、感じ取っていきたい。試合に出続けることでしか感じられないことがあると思うので、僕がピッチで感情を爆発させる瞬間を楽しみにしてもらいたいし、自分自身も楽しみにしたいと思います」



18番が、おまえの背中を押してくれる

2021シーズンの開幕を迎えたとき、18番を背負う品田の姿は、チームになかった。

右足関節前距腓靭帯損傷と両足関節三角骨障害損傷の手術を行ったためである。

2020年9月のヴィッセル神戸戦で負傷したものの、当時はチームにケガ人が続出していたため、シーズン終了後まで手術を見送り、チームの一員として戦った。

だから、12月に行われたAFCチャンピオンズリーグ、グループステージ最終節のパースグローリー戦で先発し、アダイウトンのゴールをアシストしたとき、品田は靭帯を痛めた状態だったのだ。

「両足首をテーピングでガチガチにして、プレーしていました」

2021年4月21日のYBCルヴァンカップの大分トリニータ戦で2021シーズン初めてベンチに入り、ゲーム終盤からピッチに立って、実戦復帰を果たした。

その試合前のことである。ロッカールームで「MANATO」の文字の入った18番のユニフォームを見たとき、改めて身の引き締まる思いがしたという。

「やっぱり、これまでとは胸の高まりが違いましたね。もちろん、背番号が変わったからといって、自分がやることは変わらないんですけど、もっともっと成長していかないといけないと思っています」

品田には、どんな18番になってほしいのか――。

ふたりの先輩に共通するのは、自分色に染めてくれればいいという思いだ。

そのうえで石川が望むのは……。

「18番を付けてきた僕らが成し遂げられなかったこと……18番を背負った選手がシャーレを掲げる姿が見たい。リーグ優勝を成し遂げるチームの中心に、18番の選手がいる光景が見たい」

橋本は18番を背負って成長した自身の姿を、重ね合わせる。

「愛斗は『拳人くんが戻ってくるなら、18番は返します』と言ったんです。でも、そんな気持ちは必要なくて、僕の戻る場所がなくなるくらいの活躍をしてほしい。自分も18番の責任や重圧を感じながらプレーすることで、さらに成長できた。活躍してから付けるより、活躍するんだ、という強い気持ちで背負ったほうが、逞しくなれるはずだと思います」

ふたりの先輩たちからのエールを受け、品田が思いを言葉に乗せる。

「拳人くんには『18番が絶対におまえの背中を押してくれるから』と言ってもらいました。ナオさんや拳人くんを超えるということではないと思うんです。ナオさん、拳人くんが積み上げてきたものを、僕が継承していく。リーグ優勝という最高の形で、成し遂げたいと思います。必ずシャーレを掲げる。それを約束したいと思います」

18番を背負う品田のプレーをハラハラ、ワクワクしながら、特別な想いで見守っているのは、きっと石川、橋本だけではない。

青赤のファン・サポーターも、小学生時代から青赤のユニフォームに身を包んできた愛斗を、覚悟を持って自らの意思で18番に手を伸ばした愛斗を、まるで親のような気持ちで見つめているに違いない。

クラブの歴史や伝統、そして背番号にまつわるストーリーは、そうやって築かれていくのだ。



品田愛斗(しなだ・まなと) プロフィール

生年月日:1999年9月19日
身長/体重:180cm/69kg
出身地:埼玉県
経歴:FC東京U-15深川 → FC東京U-18 → FC東京

文=飯尾篤史
text by Atsushi Iio
写真=新井賢一
photo by Kenichi Arai