TOKYOism COLUMN VOL.16
tokyoism
Column2021.4.15

青く赤く、燃える炎となりて

鉄は熱いうちに打て。

硬くてどうやっても曲げられない鉄が、熱を入れることによって曲げられるようになる。つまり吸収力のある若いときに習得しておくことが大事だという意だ。

ただ「熱いうち」は時間に限りがある。

火にさらされているのに、思ったように曲がらない。それはなぜか。きっと次のカタチがはっきりイメージできないから。

だが、ようやく見つかった。ようやく振り切れた。

裏を返せばそれだけ頑丈ということ。新しいカタチになったら、きっと強固になるに違いなかった。

田川亨介のカタチ。

何でもこなそうとするところの根っこにあるものの意味に、彼は頭を悩ませてきた。からまった悩みの糸を解いてみたら答えは至ってシンプルだった。

そう、点を獲る。

そう、真のストライカーになる。


〝苦しんだ〟経験をできたのが良かった

あの泥臭い一発を見れば、よく理解できる。

2021シーズン、ホーム開幕戦となった3月6日のセレッソ大阪戦、田川は先発のピッチに立っていた。

3日前のYBCルヴァンカップ・グループステージ、徳島ヴォルティス戦(味の素スタジアム)で相手のクリアミスを見逃すことなく左足で放り込んで「結果」を示したことからつかんだチャンス。リーグ戦今季初先発の舞台で何としてもゴールを仕留めたい。そんな気持ちを肉体から漂わせていた。

0-1で迎えた後半9分だった。

センターライン付近で森重真人がボールを持つと、田川は中から外に出てパスを受けようと手を挙げてアピールしながら抜けていく。ボールは相手に渡ってしまったが、追い足に変えてバックパスの方向にも全力疾走。相手GKのトラップミスを誘い、果敢にスライディングしてそのボールを押し込んだのだ。

「バックパスした瞬間にパスが弱かったので、そのままの勢いでいっちゃえ、と。それでうまく相手のミスを誘うことができた。C大阪戦も、その前の(ルヴァンカップの)徳島戦も(得点は)相手のミスによるもの。でも、まずはゴール前に入っていくことこそが大事で(徳島戦のゴールも)相手の体勢を見たら、この辺にこぼれてくるだろうなって瞬間的に思ったので、シュートの準備もできていました」

 ゴールが美しいか、美しくないかなんて関係ない。どう奪おうとも1点は1点。泥臭いも、ごっつぁんも関係ない。苦しんできたからこそ、たどり着いた境地であった。

「鳥栖では大きいケガもなかったし、試合に出られないってことがあまりなかった。東京に来て〝苦しんだ〟っていう経験をできたのが良かった。それがあったから、今こうやってスッキリして試合でプレーすることができています」
22歳の九州男児は、晴れやかにそう語った。


10代の田川は順風満帆そのものだった。

地元のクラブチームからサガン鳥栖U-18に進んだ。クラブが本格的に「育成」の強化に乗り出していた時期とちょうど重なり、練習施設やユース専用寮が完成している。成長にはもってこいの環境。U-16日本代表から入るようになり、チームでも2種登録された。

「グラウンドが寮のちょうど前ですからね。環境も充実していたし、みんな仲が良くて上下関係というのもあまりない。ケガもあったが、その間に力をつけてスピードが上がったりもしました」

高3時には佐賀県リーグからプリンスリーグ九州へ引き上げる原動力となり、2017シーズン、クラブでは6年ぶりとなるトップチーム昇格を決めた。

180㎝を超える長身と50m6秒0の快足、それも左利き。無限の可能性を秘めた18歳はマッシモ・フィッカデンティ監督の期待も高く、開幕2戦目から途中出場でコンスタントに出番を得るようになる。

「プロはみんなうまいし、スピードも(U-18のころと)全然違う。ついていかなきゃってガムシャラにやっていました。差をメチャメチャ感じていたわけじゃないですが、ちょっとしたクオリティが違うというか。ただ徐々にプロの練習にも慣れてきて手応えを感じていたときに試合に出られるようになったので、自分のレベルが上がってきたから出ることができているんだろうなとは感じていました」


飛び級での大舞台。ちょっとビビッていた

記念すべきリーグ戦初ゴールは、出場5試合目に生まれている。

4月8日、アウェイのアルビレックス新潟戦。ラスト10分のところで投入された田川は鎌田大地のパスに抜け出し、追ってきた相手を振り払って左足でゴール左隅に落ち着いて決めている。

「覚えています。ただ突っ走っただけです(笑)。でも左からゴール右隅というのは得意なパターンでもありました。あのゴールの後、友達や知り合いから凄く多くの連絡がきたのを覚えています。みんな見てくれていたんだなって。それがうれしかったですね」

Jリーグでの活躍も評価され、5月に韓国で開催されたU-20ワールドカップの日本代表メンバーに久保建英とともに飛び級で選出される。グループリーグ第3節のイタリア戦に90分フル出場して決勝トーナメント進出に貢献。だがチームはラウンド16のベネズエラ戦で延長戦の末に0-1で敗れ、終盤に出場した田川にとっても悔しい経験となった。

「(年下というのもあって)ちょっとビビッていたのかもしれませんね。あの大会は何もできなかった。Jリーグでは出ていたけれど、海外のチームと戦うと、自分のフィジカルは全然ダメだと痛感させられました。挫折ではないですが、このままじゃヤバいな、とどこか焦っていました。それで帰国してから、フィジカルはかなり意識して練習をやるようになりました」

1年目は24試合出場4得点というまずまずの結果を残す。リーグ戦終盤には先発出場も続いた。2年目のシーズンはチーム成績が上がらず、金崎夢生やスペインのビッグネーム、フェルナンド・トーレスの途中加入もあって先発に定着はできなかったものの、充実感はあった。彼らからも学ぶことも多かったという。

「金崎選手は前線で体を張って、チームのために走っていて、フォワードってこれやんなきゃいけないんだなって勉強になりました。金崎選手をイメージしてプレーすることも少なくなかった。トーレス選手は普段の練習からストイックに取り組んでいて、世界のトップ選手でもこれくらいやるんだっていうのは刺激になりました」



期待感と、悪夢と

U-18から5年間、鳥栖で過ごしてきた。

居心地は良かった。不満もない。だが一方で成長に焦っている自分がいた。U-20ワールドカップで芽生えたあの負の感情はいつもつきまとっていた。

そんなときに東京からのオファーが舞い込んだ。胸が熱くなった。長谷川健太監督のもとリーグ制覇の目標を掲げるクラブに、自分の成長を重ねることができた。

「迷いみたいなものはなかったです。素直にチャレンジしたいって、パッと決断できました。厳しい競争が待っていることは覚悟して。ここで揉まれていくことが大事だと思って」

クラブの雰囲気も自分に合うと感じた。

「年齢の上の人が、下の人を凄く気に掛けていて、みんなで戦っていこうってその団結力が凄いと感じました。自分もこのチームの力になっていきたいって思いました」

新しいチームに入ったからには一から自分の実力を示していかなければならない。そうでなければフォワードとして永井謙佑、ディエゴ オリヴェイラの牙城を崩していくことはできない。鳥栖1年目と同じように、まずはみんなについていこうとした。サブからのスタートとなったが、のし上がっていくイメージを持つことはできた。

ルヴァンカップ、グループステージのとある試合で、パフォーマンスが上がらないことからハーフタイムでのロッカーで長谷川監督に「あと15分やるから、死ぬ気でやってこい!」と発破を掛けられたこともあった。


この年、田川にはビッグイベントが待っていた。2年前に悔しい思いをしたU-20ワードカップだ。ポーランドが舞台となるこの大会は5月に開幕を迎える。田川は早生まれの年長者としてチームを引っ張っていく存在でもあった。

初戦のエクアドル戦は自分のオウンゴールでドローだっただけに、2試合目のメキシコ戦には気合いも入っていた。右CKからヘディングでチームの2点目を挙げるなど活躍してチームは3-0勝利。決勝トーナメント進出の可能性が大きく膨らんだ。

「エクアドル戦のハーフタイムで影山(雅永)監督が硬くなっているチームに喝を入れたんです。それで2戦目は全然違うチームになって、リラックスしてうまく試合に入れたし、球際もしっかり戦った。メキシコを圧倒することができました」

2年前のようにフィジカルで差を感じることもない。チームも本来の調子を取り戻してきたとなれば、期待感しかない。自分にも、そしてチームにも。

まさか悪夢が待っているとは思わなかった。

第3戦のイタリア戦、序盤にPKを獲得するなどこの日も田川の動きは良かった。だが前半22分、後方からのボールに抜け出してシュートを放ったところで右太腿裏を痛めて、ピッチの外に出た。診断の結果、「右ハムストリング筋挫傷」で全治6~8週間と診断された。

イタリアに引き分けて決勝トーナメント進出を決めたものの、田川は同じく負傷した斉藤光毅とともにチームを離脱することになった。



己のストライカー像とは

そこはトンネルの入り口だったのかもしれない。

チームに戻ったが、首位争いを演じるチームの助けになれない自分がいた。8月からメンバーに復帰できるようになったとはいえ、調子が上がっていかない。思ったようなパフォーマンスができない。結局そのままシーズンを終えることになってしまった。リーグ戦は11試合出場1得点にとどまった。時間にして247分。フル出場ならば3試合にも満たない。周りが思う以上に、自分自身が歯がゆくて仕方がなかった。

「はっきり言って迷走していましたね。(心と体が)うまくかみ合っていかなくて、自分から見ても元気がなかった。ゴールだけじゃなくていろんなプレーをやんなきゃって思うなかで、気持ちがブレていたところもありました。ガムシャラにやろうとしても、気持ちがついてこないんです」

やろうと思っていてもうまくいかない自分。じゃあ果たしてこれでいいのかって答えが見えない自分。

悩んでいることを見せようとはしなかった。誰にも相談もしていない。一人でずっともがいていた。それはコロナ禍にあった2020シーズンも同じだった。7月12日のアウェイ、横浜F・マリノス戦で左肩を痛め、再び離脱に追い込まれることになる。

「ケガをしても、自分はそれで落ち込むタイプではないです。自分の実力、準備が足りていないところもありますから」

しっかり考える時期にした。試合では永井や外国籍の強力アタッカー陣の動きを、見るようにした。リハビリを兼ねながら補強トレーニングも欠かさなかった。肩の痛みが消えた段階で取り組んだ懸垂には効果を感じた。体が整っていくように思えたからだ。トンネルの出口ばかりを気にせず、今の自分がやれることに意識を向けた。

光が見えた気がした。

「危機感」という表現を敢えて口にして臨んだ2021シーズンの沖縄キャンプ。

自分がやるべきは「いろんなプレー」ではなく、「ゴール」だと捉えるようになっていた。キャンプでゴールネットを揺らすたびに、その気持ちが強くなった。

「本当にキャンプの途中から、整理してできているなっていう感覚になったんです。ゴールもとれるようになって、自分のなかでもハマってきたな、と。今シーズンが開幕してからも勢いに乗れている感じはあります」

もちろん守備もやる。ボールを奪われたら自陣まで全速力で戻って奪い返しにいく。何でもやる田川に変わりはないが、意識はまるっきり違う。

「やり続けているから、最後にこぼれてくるのかな、最後に報われるのかなって感じるんです。だからこそ、そこは意識しています」

やり続けるというのは守備も、裏に抜ける動き出しも、ボールを預けて出ていってリターンを要求することすべてだ。ごっつぁんも、泥臭いも、ラッキーなどでは生まれない。やり続けた成果として認識できるようになった。スピードというストロングポイントもより意識して。それが己が確立すべきストライカー像なのだと。

迷いのかけらもなくなって、己のすべてをピッチにぶつける田川亨介がいる。それはまるで青と赤の、燃え盛る炎のように。


田川亨介(たがわ・きょうすけ) プロフィール

生年月日:1999年2月11日
身長/体重:182cm/72kg
出身地:長崎県
経歴:サガン鳥栖U-18 → サガン鳥栖 → FC東京


文=二宮寿朗
text by Toshio Ninomiya
写真=新井賢一
photo by Kenichi Arai