アカデミーパートナー・サポーターの方々へ配信した記事を一部抜粋してお届けします。全文はこれからの入会でも読むことができます。
かねてから検討されていたシーズン移行も実施され、ポストユースの本格的な強化を念頭に置いた『U-21 Jリーグ』もスタートするなど、一つの大きな転換期を迎えつつある、2026シーズンのJリーグ。東京でもアカデミーで研鑽を積み、青赤の誇りを胸に刻み込んだ四人の若者が、プロサッカー選手としてのキャリアを歩み出す。
「トップチームの練習に参加させてもらった時も全然良いプレーができなかったので、正直昇格できるか不安だったのですが、上がれるということを言われて、まずは一安心というか、嬉しい気持ちが大きかったです」

尾谷ディヴァインチネドゥ。2007年5月4日生まれ、18歳。そのフィジカルは圧倒的。191cm、86kgという堂々たる体躯を生かし、最前線でターゲットになったかと思えば、巧みな動き出しから相手のディフェンスラインの裏に抜け出し、鮮やかにゴールを陥れる。FC東京U-15むさしに在籍していた時から背負ってきた“18番”は、こだわりの強いラッキーナンバーだ。
昨シーズンの高円宮杯JFA U-18サッカープレミアリーグ2024EAST(プレミアリーグ)が始まる直前。山口太陽や田中希和の後塵を拝し、フォワードとしてはなかなか出場機会が訪れなかった尾谷に、佐藤由紀彦監督から意外な提案がもたらされる。それは右サイドハーフへのコンバートだった。
「正直なところ、最初はやりたくない想いがあったのですが、サイドをやってみるとフォワードにはない楽しさがありました。サイドからだと相手のディフェンスラインが全部見えるので、裏へも抜け出しやすかったです」。結果的にリーグ戦は全22試合に出場し、チームトップの6得点をマーク。自分の新たな可能性が広がった感覚もあった。
ただ、そのコンバートのエピソードには続きがある...。
(以降はアカデミパートナー・サポーター向けに配信しています)
「素直に嬉しかったですし、両親に一つの恩返しはできたかなと思っています。お母さんはすぐ泣いちゃう人なので、昇格を報告した時には泣いちゃいましたし、お父さんも喜んでくれました」

菅原悠太。2007年9月7日生まれ、18歳。悪魔の左足は威力十分。ひとたび右サイドでボールを受ければ、そこから先のアイディアは無限大。カットインからのシュートも、今シーズンに入ってブラッシュアップされた右足のクロスも、さらに周囲と一瞬で確立するコンビネーションも、自由自在に使い分け、相手に脅威を突き付け続ける。いわゆる天才肌のレフティだ。
2シーズン続けてトップチームのキャンプに参加したものの、思ったようなパフォーマンスを出し切れたとは言い難い。加えて二つ年下の“後輩”が、本来の実力をいかんなく発揮し、そのままJ1リーグでの出場機会を勝ち獲ったことも、その悔しさを増幅させる。
「結構悔しい気持ちで一杯でした。本当は(北原)槙じゃなくて、自分があの流れに乗っていきたかったんですけど、槙のパフォーマンスの方が上だったので、キャンプ中も、帰ってきてからも、かなり悔しかったです」
ただ、自分の中でも実力不足は痛感していた。心の内側で渦巻く感情。そんな時に思い出したのは、クラブのレジェンドでもあり、自身も数々の経験を積み重ねてきた森重真人から、キャンプ中に送られた言葉だった...。
(以降はアカデミパートナー・サポーター向けに配信しています)
「自分は生まれた時から小平に住んでいて、サッカーを始めたのもFC東京のサッカースクールがきっかけで、トップチームの練習が終わった後のファンサービスにもずっといっていたので、その憧れていたチームでプロ生活をスタートできることに、嬉しさとワクワクしかありません」

鈴木楓。2007年6月5日生まれ、18歳。まさに生粋の青赤育ち。FC東京U-15むさし時代まではセンターバックが主戦場だったが、U-18に昇格してからはボランチにもトライしたことで、プレーの幅も格段に広がった。長短のパスを蹴り分けられる確かなキック精度と、最終ラインでも恐れずにボールを引き出し、ビルドアップに加わっていく技術の高さと冷静な判断力は、プロでも十分に通用する代物だ。
高校1年時からプレミアリーグ19試合に出場。佐藤龍之介(ファジアーノ岡山へ育成型期限付き移籍中)や永野修都(ガイナーレ鳥取へ育成型期限付き移籍中)をはじめとしたハイレベルな先輩たちとトレーニングから切磋琢磨しつつ、チーム内での立ち位置を確立していったものの、さらなる飛躍が期待された昨シーズンは、一転して負傷が続く不運に見舞われる。
「自分は今までに1回も大きな怪我をしたことがなかったのですが、昨シーズンの5月の終わりぐらいに肉離れをしてしまって……。夏休み中に復帰したものの、またすぐに怪我をして、また復帰して、怪我をしてと、それを3回繰り返してしまったんです」
キャリアで初めての長期離脱。不安がなかったわけではない...。
(以降はアカデミパートナー・サポーター向けに配信しています)
「正直トップに上がれるかは難しいラインだと思っていたので、とても嬉しかったと同時に、もっとサッカーと向き合うために、これからの生活も引き締めなきゃなという想いがありました。でも、自分にはプロでもやっていける自信はありますし、『楽しみだな』という想いが一番強いです」

田中希和。2007年8月7日生まれ、18歳。気持ちいいぐらいにアグレッシブ。攻撃的なポジションだったら、どこでも水準以上にこなせるだけの能力を搭載したアタッカーは、とにかくボールを持ったら果敢に勝負。目の前の相手を絶対に倒してやるという気概は、プレーの端々から立ちのぼる。負けず嫌いなメンタルは、サッカーを始めた時から最大の武器だ。
一方で、良いと思ったものは素直に採り入れる柔軟性も持ち合わせている。2年生だった昨シーズン。一つ上の先輩が続けていたルーティンに気付き、小さくない影響を受けたことで、トレーニングへ取り組む意識に変化が訪れる。
「昨シーズン、3年生の先輩方が、メチャメチャ練習に早くきていたんです。学校が終わって自分がグランドに来るころには、もうボールを蹴ったりしていて、特に大越友太波くん(現順天堂大学蹴球部)はずっとボールを蹴っていました。本人と話してはいないんですけど、自分から見ても、大越くんのドリブルやシュートがメチャメチャ上手くなっているのを感じたので、ああやって頑張れば、自分ももっと成長できるんじゃないかなと思いました」
絶対にプロになってやると決意してスタートした今シーズン...。
(以降はアカデミパートナー・サポーター向けに配信しています)
アカデミーからこのクラブで短くない時間を重ねてきただけに、彼らが東京で成し遂げたいことを尋ねると、四人全員から同じフレーズが零れ落ちた。最後にそれをご紹介したい……。
「個人としては1シーズン目からJ1リーグ出場に絡んでいきたいと思っていますし、一番は東京のJ1リーグ優勝に貢献したいということは強く思っています」(尾谷)
「自分はこのクラブにお世話になったので、海外移籍を考えるよりも、この東京をJ1リーグで優勝させたいと思っています」(菅原)
「まだ東京はJ1リーグ優勝をしたことがないので、自分が東京の中心選手になって、J1リーグ優勝に貢献するというのは大きな目標です」(鈴木)
「いずれはこのチームで10番を付けて、東京をJ1リーグで優勝させるという目標は、自分のなかに間違いなくあります」(田中)
四人の18歳が揃って口にしたのは、東京にとって念願とも言うべき『J1リーグ優勝』というキーワード。近い将来、もしそんな時がやってくるのだとして、タイムアップの瞬間に、この四人が全員ピッチに立っていたならば、それは彼らにとっても、東京を取り巻くすべての人にとっても、間違いなく最高の光景だ。
Text by 土屋雅史(サッカーライター)

