TOKYOism COLUMN VOL.09
tokyoism
Column2019.12.18

Love&Peace~みんなと笑顔でいたいから~

永井謙佑はわかりやすくて、わかりにくい。

50m5秒8の快足。それは、誰の目にも分かりやすい武器だ。でも、隠れた魅力がある。それは誰よりも仲間を思いやれるところなのかもしれない。

「本当に、優しいよね?」

そう聞くと、謙佑は「いやいや、オレ、メチャメチャ厳しいから、鬼よ、鬼」と言って笑い飛ばす。

間髪入れずに、「いやいや、ちょっと待って」と制す。

その笑顔の下にあふれ出てるよ、優しさが。プレーだけでなく、普段の姿にも。

足を止めない無垢な想い

転がるボールが方向を変える度に腕を振って足を踏み出す。歯を食いしばり、2度、3度と追い続ける。その頑張りは報われることの方が少ない。それでも、走り続ける。

無垢な赤子のように、仲間を信じて――。

転機は、2018年9月29日のJ1リーグ第28節の清水エスパルス戦だったという。FC東京のクラブ創設20周年記念試合と銘打たれた一戦。記念ユニフォームを着用し、ホーム味の素スタジアムには3万人を超える観客を集めた。だが、結果は0-2の完敗。ベンチスタートだった、背番号11は後半26分からピッチに立ったが、劣勢のチームを救うことはできなかった。

「みんなで準備をした試合だった。たくさんのファン・サポーターが来てくれたのに負けてしまった。あの試合は、自分が変わらないと、何も変わらないと思うきっかけだった。今までの東京は、ああやって盛り上がっているときに負けてしまう。ああいうときこそ、勝たないと、チームとファン・サポーターとの距離も縮まらない、もう一つ上の強さを身につけることはできないと思い知った」

その帰り道――。無力さを感じ、情けなさで自分に腹を立てた。人知れず、悩みもした。だが、「オレが落ち込むと、このチームはメチャクチャ暗くなるから」と、チームメイトの前では努めて明るく振る舞った。ただし、心の底で秘めたる誓いを打ち立てる。「まずは自分がやらないといけないと思った。オレが変わればチームが変わる。それが一番だった」。

東京のコンディショニングアドバイザーを務める上松大輔は、規格外のスピードを支える永井の身体を「アートに近い」と表現する。肩甲骨から首筋に掛けたソレや、赤土のように不自然に盛り上がった両脚の付け根にはチームメイトも「何これ」と驚く。その肉体をフルに活かし、毎試合、最後の一滴まで汗を絞り出そうと決めた。

「チームが勝つことが一番だった。自分ができることを整理して、何がチームに必要かを考えた。チームの勢いが出るかどうかは、自分次第。例えばオレが守備で寄せなかったら最終ラインが下がってしまうし、攻撃では敵陣深くまで攻め込めたら、チーム全体がプッシュアップできてすごくいいサッカーができる。自分が先頭に立ってやり続ければ、後ろはついてきてくれる。その基準をつくった。まず自分が行くという姿勢を見せないといけない、あそこから常にそう思ってやってきた」

先鞭をつけて迎えた今季は、開幕戦から先発出場を続け、優勝争いを演じるチームに不可欠な存在としてピッチに立ち続けた。33試合9得点の活躍も、チームメイトに全幅の信頼を寄せているからこそだという。

「後ろにいる仲間を信じているから走れる。全く知らないメンバーだとそれは難しいのかも。後ろがボールに向かって、いい距離感でグゥーッて押し上げてきてくれる。自分のところでボールが取れるとは思っていない。2つ目、3つ目のところでボールを奪えた時が“ファストブレイク”につなげられる。それが得点のチャンスになっている」

そう吐き出した言葉に、彼のぬくもりを感じた――。


心地良い仲間との空間

ある日を境に夢中になって、小学校の卒業文集には『将来の夢・プロサッカー選手』と書き記した。サッカー少年の王道のように思えるが、少し違った。そこに「絶対に」という枕詞はなかったと言い、自らの記憶をたどった。

幼少期を過ごしたサッカー王国・ブラジルで、2つ上の兄を追ってボールを蹴り始めた。帰国後も、小中高と兄と同じキャリアをなぞった。

「小学校のときはメチャクチャ負けず嫌いで、口が悪かった。負けたら文句を言う悪ガキ。でも、中学校に入って、それではダメだなって。あまり周りに文句も言わなくなった。なんでそうなったのか?それは自分でも不思議だった。卒業文集とかには、サッカー選手になりたいと書いてきたが、そのための努力というか、そこにたどり着くために、ストイックにやってきたわけじゃない。好きでサッカーを続けてきて、それがどんどんふるいに掛けられていく中で、間違って世代別の日本代表(福岡大学時代にU-18日本代表)に“入っちゃった”。そこから人生が変わった」

永井にとっての“サッカーが好き”は、少しだけ広い意味を持つのかもしれない。練習や試合でボールを追い掛けるだけにとどまらない。その行き帰りにふざけあったり、ときには熱のこもった話にもなった。いつも、そこには仲間がいて、笑顔や涙があふれる。そうやって大切な人たちと向き合う空間にいることが何よりも心地良かったのだろう。

「人を裏切ることは絶対にしない。だから練習も、試合もちゃんとやるし、仮病なんてつかったこともない。好きなことをやるために、ちゃんとやる。たまには炭酸飲料も、お菓子も食べる。でも、暴飲暴食はしない。人も、自分も裏切らない。やらなかったら全て結果に出ちゃうから。オレの周りにいる人に、迷惑は絶対にかけたくない」

そういう性格だからなのか、周りの感情の機微に気づくのも早い。

「今年はファン・サポーターともお互いが初タイトルに向けていい関係が築けていると思った。今日も、いつものあの人はあそこにいるなとか、応援してくれているみんなのことはしっかりと見ている。やっていて楽しいし、味スタでやる試合は雰囲気も違った。特に、今年は負けた後もオレたちを後押ししてくれたと思う」

その象徴的な試合の一つが、9月14日のJ1第26節鹿島アントラーズ戦だった。その日は、主導権を握りながらもゴールが奪えず、0-2でチームは敗れた。試合後のアウェイゴール裏から上がった、「まだ首位だぞ」、「ここから一緒にやっていくぞ」という声に救われた。

その試合後のミックスゾーンで囲み取材が解けると、大声で「今日の負けはオレの責任。オレが決めていれば勝てた試合だった。ごめん」と口にし、堰を切ったように想いがあふれた。

「大事な試合で点が取れなかった自分への悔しさもある。オレが(チャンスで)決めていれば、センタリングを合わせていればという試合だった。鹿島戦は崩せていたし、相手ペナルティーエリア内まで入ることができていた。だから、周りが気にすることじゃないなって思った。一度沈みかけたときに、ゴール裏からの言葉に助けられた。アウェイでも後押ししてくれたし、そういうのは心に響いた」


みんなで円を大きくするために

今季は4年ぶりに日本代表へと復帰した。国際親善試合のエルサルバドル戦で代表初得点を含む2ゴールを挙げ、森保体制で6試合3得点。その活躍をメディアが放っておくはずもなく、代表とクラブを行き来する合間には、多くの取材も舞い込んだ。蓄積した疲労はあったはずなのに、軽口はたたきつつも、それを一つひとつしっかりとこなしてきた。

ビジネススタッフが、そのお礼のメッセージを送ると、「みんなが頑張っているから協力するのは当たり前。みんなでつくるものじゃないですか、空気は」と、返信がきたという。その話をすると、初めは「そんなメッセージ返したかな」と嘯いたが、あまりのしつこさに折れてか、口を動かし始める。普段は笑顔の下に隠したホンネが、そこに垣間見えた。

「結局はチームだから。裏方さんがいて、応援してくれる人がいて初めて成り立つ。やることをやらないと、僕たち選手からも広報に要求することもある。でも、何もやってないのにこうしてよ、なんて言えない。お互いに関係を積み上げて、いいものにしていきたい。そうやってファン・サポーターとも距離も詰めていくことができる。いきなりその距離を詰めるのは得意じゃない。でも、少しずつ円を大きくしていってみんなでやっていきたい」

そう吐き出すと、こちらの感心している顔を見て照れくさそうに「こういう話をするのは好きじゃない。でも、本当は、心ではそう思っている。あまり表に出したくないし、悟られたくない」と言葉にして続ける。

「大事でしょ。人のために頑張れる人は裏切らない。自分を犠牲にしてまで人のために尽くせる人は裏切ったりしない。自分に良くしてくれる人を裏切るようなことを、オレはしたくないから」

誰かとつながり、何かを成し遂げようとするとき、自分とは違う意思や価値観を持って動く人たちをリスペクトできるかに懸かっている。それがどんな組織を回す上でも、重要なことだろう。その定義で、永井のような存在がチームにいることはやはり大きい。

今シーズンは、たびたび家族ぐるみで付き合いのある東慶悟と食事会を開き、そこに若手を呼んでコミュニケーションの場をつくってきた。

「今年、慶悟がキャプテンになると思っていた。でも、慶悟は『オレはいいよ』ってタイプ。でも、役割を与えられたら、あいつは絶対に変われる人間だと思っていた。あいつがキャプテンになって、オレも変わりたいとなおさら思った。若い選手たちも心を開いてくれて、歩み寄ってくれたことも大きい。5年後は、その年代がピッチに立っていないと、東京は強くなれない。そこもひっくるめて戦わないといけない。毎年、優勝を争うのが当たり前のチームにしていきたいし、若手に経験を伝えられる関係でいたい。自分が、いつまでいられるかはわからないけどね」

好意の裏返しで、思っていることとは反対の言葉や、行動を取ってしまうが、それも照れ隠しなのだろう。実は思慮深く、素直で一本気な人柄を知ればしるほど、周りの人は彼をどんどん好きになっていく。


厳格な父と指揮官

そんな彼の周りには、良き理解者が集まる。長谷川監督も、その一人で「謙佑は今年で30歳?まだまだうまくなっているよね」と、手放しで称賛してきた。今季は優勝争いも大詰めを迎えたとき、その指揮官から直球の檄が飛んだ。

「自分で勝負しろ。おまえが外して負けたのならいい。おまえが自分の手で優勝させるぐらいの気持ちでやれよ」

厳しかった父の姿が、そこに重なった。「怒るときはいつもボソッと言う感じで怖かった」という父親に厳しく育てられたが、事あるごとにその愛情にも触れてきた。「父も次男で、お下がりばかりを着ていて、それが嫌だったって。だから母には、兄と同じように育てるように言ってくれていたみたい。人間関係を一番大切にしているところとかは、父の影響だと思う」。ぶっきらぼうなところも父親譲りだが、その人を思いやる気持ちは彼のプレーにもよく表れている。

「オヤジは厳しかった。髪を染めるのも、ピアスを開けるのもダメだった。高校を卒業するときに『おまえみたいな姿勢だと、プロサッカー選手にはなれない』と、ハッキリ言われた。大学卒業後にそれも変わった。でも、いまだにメチャメチャ怒られる。サッカー経験はないのにオレが消極的な姿勢を見せると、もっといけよって。いいときも悪いときも、ずっとオレを見てきてくれた。だから、ああそうかって素直にそのアドバイスを聞ける。監督からも、そんな風に言ってもらえるのは幸せ。その期待に応える楽しさもあるから」

今季J1リーグ第33節浦和レッズ戦で右肩を脱臼しながらも、最終節の首位・横浜F・マリノスとのリーグ初優勝を懸けた直接対決に強行出場した。そこに、彼なりのサッカーとの向き合い方が詰まっていた。指揮官や、チームメイトに必要とされれば、断る理由などなかった。何よりも最後まで、みんなと“闘いたかった”からなのだろう。つんつんした、永井なりの『ONE FOR ALL』だった。

90分間、力の限りを尽くした。だが、それでも届かなかった。優勝するためには4点差以上の勝利が必要だったが、0-3で試合終了の笛を聞いた。J1初制覇は、お預けとなった。

長い息を吐き出し、視線を上げた。アウェイゴール裏の前で整列した瞬間、『You’ll Never Walk Alone』の大合唱が耳に届いた。その光景に、グッときた。頑張る理由が、また一つ蓄えられた。

「1年間、チームメイトや、ファン・サポーターに後押しされて、たくさんのパワーをもらった。こういう雰囲気の中で、最終節まで戦えた。これを来季以降も続けていけるようにしたい。こうした緊張感はなかなか味わえない。この経験で、きっとまた成長できる。負けて得たものを次に活かしていきたい」


みんながハッピーになるために

30歳を過ぎて、望むことは多くない――。

「やるか、やらないか、かな。年を取ると、もう無理だよってメンタリティに陥りやすい。そこでどれだけそう思わないようにするか。チャレンジするかって言ったほうがいいかな。オレみたいなプレースタイルの選手はいない。お手本がないから、これを貫き通すしかできない。足が速かった選手が年齢とともにポジションを下げたり、プレースタイルを変えたりするけれど、それは嫌だなって。追わないオレは、オレじゃない。ロンドンオリンピックころから追い回しているし、そこがなくなったらやっぱり違う」

ど直球に、「目標はある?」と聞いた。

「これからの目標?みんながハッピーになれるようにしたい。なんだろうな、自分自身は普通に、一緒にいる人たちと楽しく暮らせればいい。そこが一番大事かな。一人で何か成し遂げたいとか、何かをやりたいとかはない。でも、この仲間とリーグ優勝はしたい、絶対に」

共に喜び、共に怒り、共に泣き、それをみんなで共有する楽しさを知っている。そして、友と笑うために彼は走り続ける。

「知らない人からは、どうせ何も考えていないって思われている。そう思われてもいいし、別に近寄ってきてほしいとも思わない。面倒くさいよね、オレ……。でも、大切な人や仲間には自分の本当の姿を見せたいでしょ」

そう口にした表情は、やっぱり屈託のない笑顔だった。普段はあまり吐き出さない永井のホンネに耳を傾けてほしい。そうすれば、きっと彼のことをもっと好きになるはずだ。風を切るスピードスターは、その好きを拾い集め、また走り続ける。それが、永井謙佑が愛したサッカーの姿だから。



◇永井 謙佑(ながい けんすけ)プロフィール




text by Kohei Baba
photo by Kenichi Arai,Masahito Sasaki