試合終了が迫る後半40分。ピッチサイドで交代を待つ背番号88の胸中には、これまでにない緊張と野心が同居していた。
2025明治安田J1リーグ第34節 サンフレッチェ広島戦。FC東京U-18から昇格して1年目の山口太陽は、ついにプロとしての第一歩を踏み出した。
帯同メンバーに自分の名を見つけた瞬間、山口には確かな予感があった。
「フォワードの選手にコンディション不良や怪我人もいたので、もしかしたら……とは思っていました」
しかし、今シーズン何度も“あと一歩”で届かなかったチャンス。だからこそ、浮き足立つことなく準備に徹した。
「普段から最善の準備をすることだけを意識していました。広島戦のメンバー入りが決まった時は正直嬉しい気持ちがありましたし、これまでやってきたことが少し報われた気がしました。スタジアムに着いた時は少しソワソワしていましたね(笑)。緊張と高揚感が入り混じっていたような感じでした」
試合が始まると、東京は広島の圧力を受けながらも、徐々にボール保持を増やしていく。
山口はベンチでその戦いを見つめながら、自分が出場した時のイメージを描き続けていた。そして、後半35分過ぎ、「太陽、いくぞ」という声が掛かる。
後半40分、Jリーグ公式戦デビューとなるピッチへと足を踏み入れた。
「冷静に入ろうと思ったんですけど、すぐに息が上がってしまって。身体は正直でした(笑)」
出場時間はわずか10分だったが、強気なプレーと繊細なボールタッチを見せ、日本代表選出歴のある荒木や韓国代表のキム ジュソンら広島の屈強なセンターバック陣にも物怖じせず果敢にボールへ向かう姿は、間違いなく東京のファン・サポーターに新たな希望を届けられたはずだ。
「特別なプレーは出せなかったけれど、想定していたプレーは出せたと思います。もちろん緊張もありました。ただ、試合数やJ1リーグという場で慣れていけば、自分も全然やっていけるという感触と、積み上げてきたものが広島戦で少しは出せたかなと思います」と収穫を手に広島の地を後にした。

話を少し巻き戻そう。
今シーズンからトップチームに昇格した山口は「最初からしっかりとアピールしていきたい」と意気込んでキャンプに臨んだ。
しかし、マルセロ ヒアンを筆頭に同ポジションを争うライバルたちの壁はプロ1年目の山口にとっては高く、2月のリーグ開幕以降、公式戦のメンバーに名を連ねることはなかった。
加えて、4月に行われたU-22 Jリーグ選抜の活動中に負傷。全治8週間の長期離脱を余儀なくされた。
このままではダメだ――。
大小問わずシーズン中に怪我を繰り返してしまった身体を一から見直し、プロサッカー選手として自分と向き合う時間に徹した。
「シーズンの早い段階で怪我をして、だんだんコンディションが上がってきたなと感じるタイミングで怪我を繰り返してしまった。今シーズンのなかでも、この期間が一番苦しかったですし、率直に『このままじゃダメだ』と痛感しました」
8週間の間、食事、睡眠、筋力トレーニング、それぞれの質にこだわり、“鍛え直す”覚悟で取り組んだ。
特に注力したのがリハビリを担当する宮間幸久コーチ(フィジオセラピスト)のもとで行った上半身の可動域改善。上半身の筋力アップと可動域を広げることによって、身体全体のバランスを高め、キックやダッシュ&ストップなど、クイックな動きに正確性と力強さを兼ね備えるトレーニングに励んだ。
「今まではサッカーの技術的な部分にしか目がいっていなかったんだと気付かされました。筋トレだったり、身体の使い方だったり、そういう部分の重要性を感じることができました」
そして、とある選手に「どうしたら良いですかね」と質問を投げる。アドバイスを求めたのはアカデミーの先輩でもある橋本拳人だった。

「直感だったと思います。拳人さんに『どうしたら試合メンバーに入れるんですかね』と、気付いた時には聞いていました」
リハビリ期間を終えて、コンディションも上がってきた山口の早く試合に出場したい気持ちや焦る想いに橋本も真摯に応えた。
「コンディションも良くなってきているのは分かるけど、目に見える結果だけがすべてじゃないと思うよ」と前置きし、橋本の視点でアドバイスを送った。これに限らず、練習後に時間があれば話す機会が必然的に増えていったという。
「まずは練習から監督やスタッフ、チームメイトとの関係を構築していくことだったり、僕自身が思っている感覚や自分が試合に出たいという気持ちを拳人さんの目線で答えてくれました。自分としては『できている』と思っていた部分もできていなかったり、そんな良いプレーではなかったと思う部分が反対に良かったり。日々の練習からいろいろと聞いていくなかでたくさんの気付きがありました」と、経験豊富な先輩の助言を、自分の成長の糧にしている。
現在の東京は、前線に負傷者が相次ぐ厳しい状況にあるが、そうしたなかで虎視眈々とゴールへの感覚を研ぎ澄まし、その左足がうなりをあげる時も近い。

「次はゴールを決めたい。どんな状況でも、チームを勝たせる得点をとれる選手になりたい」
広島戦ではシュートチャンスまで持ち込むことはできず、ネットを揺らすこともできなかったが、その眼差しにはもう迷いの色はない。
長く苦しんだ時を経て、ようやく掴んだピッチ。広島戦の10分は、山口太陽のプロ人生に刻まれる“最初の物語”となった。
そして、その物語の続きには、まだまだ無限大に広がる可能性を秘めている。
(文中敬称略)


