国立競技場の記憶 vol.4 #ThisisTOKYO

COLUMN2022.3.31

国立競技場の記憶 vol.4 #ThisisTOKYO

いよいよ4月29日(金・祝)に、東京が新国立競技場で初のJリーグを戦う。

改修前の国立では、Jリーグ加盟初年度から多くの公式戦を戦ってきた。思い出に残るスーパープレーもあれば、インパクトのあるイベントもあった。悲願のタイトル獲得以降、東京がすべてのタイトルを国立で獲得していることは、東京と国立の深い縁を象徴している。

俺たちの国立。

This is TOKYO.

新しい一歩を国立で刻む前に、これまでの国立に残してきた足跡、思い出を当時の写真とともに振り返る。

2004年 雨のダービー。突き刺した、梶山の一撃

【試合情報】
2004Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第3節
FC東京 1-0 東京ヴェルディ1969

その一振りは、東京の希望だった――。

フリーライターになって間もない駆け出しの頃なんて書くと、不惑となった自分の老いを感じてしまう。二十代だった僕は、試合終わりに決まって先輩たちと食事に出かけた。のべつ幕なしにサッカーとくだらない話が行き来する、幸せな時間だった。(今とやっていることは変わらない)。そこで、決まって名前が挙がる選手がいた。

そして、こんな話を当時の長澤徹コーチからも聞いたことがある。

「原(博実)さんと一緒にワインを呑むと、よくあいつの話になるんだよ。『オレはあいつみたいな選手がヨーロッパで活躍する姿が見たいんだ』ってな」

きっと、東京サポーターも同じ選手を肴に語り明かした経験があるはずだ。それほど話したくなる、そこに梶山陽平という選手の面白さが詰まっていた。

2004年8月29日。雨が降りしきる国立競技場、舞台は東京決戦(ちなみに当時、オフィシャルでは東京ダービーとは謳っていなかった)。背番号23が放ったのはあまりに鮮烈な一撃だった。

0-0で迎えた後半43分、途中出場の梶山はエリア外でボールを託される。「そろそろ(リーグ戦で)決めろ」という原監督の言葉が耳にも残っていたのだろう。ボールを右にずらしてコースが空いた瞬間、迷いなく右足を振り抜き、矢のような弾道でゴール左上に突き刺した。そのあまりの鋭さに、相手GKはその場に立ち尽くすことしかできなかった。梶山にとって、これがうれしいJ1リーグ初ゴールとなった。

ネンイチのスーパーゴール。いやいや、敵地戦初勝利のナビスコカップ・鹿島アントラーズ戦(4月29日)、スペインの強豪デポルティボ戦(8月1日)でも目の覚めるようなミドルを突き刺している。こんなルーキーの出現に胸踊らないワケがない。

そんな話を何度も一緒にした、当時の東京中日スポーツ・FC東京担当だった高橋正和記者は、初めて梶山を見た時の印象をこう語っていた。

「なぜか時間がそこだけゆっくり流れて見えた。止まっているように見えるのに、なぜかヌルッとドリブルで抜けてしまう。原さんは雰囲気や背格好が似ていた(フアン カルロス)バレロンみたいな選手になってほしいとよく話していたのを覚えている」

おおよそサッカー選手を形容する言葉ではない「ヌル」や「変態」とも、よく呼ばれていた。それもまた彼の独創的な個性だった。誰かの夢を背負った梶山は多くのけがに苦しみ、2018年にスパイクを脱いだ。

望んだキャリアを歩んだとは、きっとあの頃の僕たちも、本人も思っていないだろう。でも、あれほど話が尽きない選手はいない。こんな文字数じゃ、まだまだ話足りない。すみません、生ビールのおかわりお願いします。

Text by 馬場康平(フリーライター)