明治安田J1百年構想リーグを4位で終えたFC東京。地域ラウンドEASTグループでは首位の鹿島アントラーズに追いすがったが、開幕前に目標として掲げた優勝には届かなかった。だが、チームは就任2年目を迎えた松橋力蔵監督の手腕によって多彩な攻撃力を培い、攻守に魅力的なスタイルを展開。2026/27シーズンへの期待を感じさせる充実のハーフシーズンとなった。
2025年度の決算では、年間売り上げで過去最高を更新する72億1000万円を記録。ビジネス面で右肩上がりの成果を示したなか、7月1日付での川岸滋也社長の退任が発表された。今回は2022年2月から約4年半にわたる在任期間を総括してもらいながらのインタビュー。後編は川岸社長の在任中を振り返り、取り組んできたクラブの成長やその根底にあるビジョンについてあらためて聞いた。
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取材・構成=松岡祐司(中日スポーツ)
──4年半の任期期間をあらためて振り返って、どのようなご感想をお持ちでしょうか。
「2021年、東京ガスとの協議が出発点だったと思います。FC東京がいま一つ“天井”を突破できないなかで、東京ガスさんからも『どうしていくべきかを正直、悩んでいる』という話があったと聞きます。MIXIとしては、クラブ名に首都を冠していることもあり、やはり日本の中心的なクラブでなければいけないと感じているなかで、『そこにどう持っていくか』とやり方をいろいろ考え、『MIXIに委ねてもらえませんか?』という話からスタートしました。
事業計画では、例えば国立競技場を使っていくこともそうですが、ビジネスサイドでセグメントごとに試算して、他のクラブと比較しても『十分に伸ばせる』と考えてプランしていました。当初、フットボール面に関して解像度は上がっていませんでしたが、将来的にフットボールに大きく投資できるようにビジネスサイドを回していくことを事業計画に書いていました。

一方で、クラブに入ってみて、FC東京がどこに向かっているのかについて明文化されてない、明確になっていないということを感じました。
まず、私は“東京”をすごく意識していました。日本一の都市であり、日本最強のブランドです。ユニフォームの胸部分には『TOKYO GAS』というスポンサー名があり、『TOKYO』と記されていることがすごく効いています。インバウンドでユニフォームを買ってもらう際に、『TOKYO』と入っていることが好評です。世界中のいろいろな人に聞いても、ブランドとして強いのは『JAPAN』より『TOKYO』です。私自身は神奈川県出身、在住で、東京に対する淡い憧れがあります。ある種のコンプレックスかもしれませんが、そういう意味でも、『東京』をものすごく意識していました。

そういった経緯もあって、多くの人に『FC東京はもったいない』と言われていた状況もありました。『万年中位でもったいない』と。みんなは『優勝したい』と言うけど、クラブとして、どういうストーリーやプロセスを経て優勝していくかを語れる人が誰もいませんでした。『東京』には圧倒的なポテンシャルがあるので、ここに注目して、立脚して、すべての物事を繋げていこうと考えたのが最初の半年間でした。『東京』というイメージが何なのかという議論が全くできていなかったので、『ここはしっかり意識すれば伸びるな』と感じていました。
例えば、高層のビジネスビルに入ったことがなく、東京タワーからの景色しか見たことがないようなスタッフがいました。練習場のある小平や事務所のある調布は郊外のような雰囲気があります。クラブ内で『東京』というイメージを確認しても本当にバラバラで、それぞれがそれぞれの視点でしか『東京』を見ていませんでした。そもそも『東京』というものを客観視し、意識できていなかったんだと思います。だからこそ我々は、強烈に『東京』を意識する集団にならなければならないと考えました。FC東京がイメージする『東京』は多様で、ごちゃごちゃしていて、それでいて最先端でワクワクするナンバーワン都市──こう考えて、まずはFC東京はエンターテインメントな存在でないといけないと考えました。『東京』というブランドにFC東京が近付くために『VISION2030』を書き始めた背景には、そんな経緯があったわけです。いろいろな人と議論しながら最終的にまとめていきましたが、そこが起点でした。
『VISION2030』 では方向性を決めて、『東京』を象徴する存在になろうと語っています。『FC東京=東京』ではなく、『東京=FC東京』になろうと掲げています。その目標さえ外さなければ、基本的には何をやってもいいというメッセージでもあります。
ただ、当初は社内でやり方をよく聞かれました、『どうすればいいんですか?』、『何をするんですか?』、『何をやればいいですか?』などと質問されました。私は方向だけを示しているので、『みなさんが自由にやり方を決めていいよ』というような話をずっとしてきました。
そういうなか、ここ数年で、現場が自分たちで考え、自由にやれるようになってきたということです。私はずっとサッカー界、スポーツ界の中心にいたわけではないので、よく分からなかったのですが、クラブの中では年齢や出身大学に関する話題がよく出ることを感じていました。強化部やスタッフの紹介には必ず年齢が書いてあって、すごく不思議な感覚がありました。私がいたネット業界では年齢などは気にしません。仕事の実績がその人のステータスであり、それ以外は気にしません。それこそ、どこの大学を出ているかなどは気にしたことがありません。その人のアイデンティティーを学歴で確認しようとする程度で、高卒でも、高専卒でも何でもいい。仕事ができるなら関係ないわけです。体育会系の部活の厳しい上下関係が色濃く残り、まるで上意下達のように、上から『こうやれ』、上から『それはダメだ』というようなコミュニケーションが多くなっていたのではないかと考え、それをできる限りフラットに、いろいろな人が自由に話して、意見を出していいという心理的安全性を構築することを意識してきました。
そうしなければ事業を進めるにあたって、私の想像を超えていかない。方向が合っていれば、この先にどれだけのスピードで、どれだけの勢いで進んでいってもいいと決めていけば、現場のスタッフが走るスピードは私の想像を超えていけるはずなのです。私が持っていないアイディアや見えていないものは必ず現場が持っています。事業計画で2025年に60億円と想定していた売上が70億円に到達したのは、私の想像を超えて、みんながやってくれたからだと考えていますから」
──現場に権限を委譲した組織づくりを進めてきた成果が出ているということですね。
「ビジネススタッフの定着率がとても上がりました。このクラブで働きたい、貢献したいとみんなに思ってもらえることが大切です。風通しの良さもそうですし、自分に与えられた裁量を含め、任せられている責任、頼られている感覚などいろいろな空気をかなり醸成できてきたと思っています。実は直近2年間では一人もビジネススタッフが辞めていません。私が就任した当初は結構辞めるスタッフもいたのですが、徐々に減っていきました。ビジネスを伸ばせた理由は、実はこれが大きいと思っています。
定着率が上がると、今までやってきたことがリセットされません。人が変わることで効果が出ることもありますが、今までやってきたもののノウハウや属人的なものが失われて継続できず、ゼロからのやり直しになってしまう。新しいメンバーの立ち上げは時間やリソースも含めてコストがかってしまうのです。でも、最近は『昨年の取り組みを改善していこう』というコミュニケーションをとって、毎年アップデートできるようになっている。クラブの成長、特に事業面での成長においては、そういう効用があったと感じています。もちろん待遇面も改善しています。『結婚して、子育てを考えると難しい』という声もあったので、活躍していただける人たちに長くいてもらいたいと思った時に、待遇面を理由に辞められてしまうのはもったいないと考え、クラブとして人事制度もかなり変えてきました」

──組織風土を変えるとうことは、かなり大変なことだと思います。どんな手法で断行したのでしょうか。
「私自身はあまりトップダウンで物事を決めないタイプです。『そうやりたいのであれば、そうやればいい』と自主性を重んじるようにずっと言ってきました。トップがそういうコミュニケーションをしているので、『それでいいんだ』という考え方になってきたと思います。クラブでは過去に経理部長が着服した事件があり、それ以降は予算とお金の管理についてすごく厳しくなっていました。社内の規定は別にありましたが、実運用としては1円から社長決済でした。つまり、何にも責任を持ってお金を使えないということです。お金を使うにあたってはすべて社長を通さないといけないフローになっていました。各部長たちも何に、いくら使えるのか分からない状態で、社長の下の経営管理部門に聞いて、予算をつけてもらう流れになっていました。
でも、それではすべてが遅いのです。使えるか使えないか分からないから、企画を実施するかどうかで止まってしまう。予算があって、そのなかで『どうしようか?』と考えるのではなく、予算があるのかどうかが分からないところからスタートすると、どうしてもテンポが遅れてしまう。だから、私はすぐに予算を各部門に振り分けて開示し、見えるようにしました。これは過去に着服されたトラウマがあった影響なので、『通常の職務権限に戻しましょう』と予算を各部門へ振っていきました。各部門長は初めて予算から事業計画を立てるようになりました。予算を何に使うか、何をやろうかを考えて現場やスタッフと議論して、『自分たちでやっていいんだ』と自主的にやれるようになったことで、いろいろなチャレンジや新しい取り組み、工夫が生まれていきました。
もちろん、私はビジョンを示さないといけません。『こういう大義があるよね?』などと明確に伝え、目的をぶらすことがなければ、手段は問わないというのが私の考え方です。手段と方法がそれぞれあるなかで、いろいろなものにチャレンジして、『予算内であれば何でもいいよ』と言ってきました。ちょっと変わった企画が出てきて、もし批判的な声が上がった場合でも、すべて私が受け止めるからと言ってきました」
──川岸社長の退任はクラブにとって大きな転換点になるのでしょうか。今後に向けて伝えたいこと、大事にしてほしいことはありますか。
「新社長は私と全く同じ人ではありませんので、もちろん変わる部分はあると思います。一定の変化も組織として楽しんで前に進んでもらえたらと思っています。ただ、私自身が自信を持って言えるのは、この数年間でスタッフはすごく成長しているということです。誰かに言われなくても自分たちで動いていけているので、誰が社長になっても、そこはスタッフの力をそのまま活かしていけるはず。新社長もそのまま活かしていくという判断になるのではないかと思います。私が見えていなかった課題を新社長が見つけて、いろいろな戦略、戦術に落とし込んで対応してくれると思っています」
──4年半の中で難しい決断もあったように思います。いま、振り返ってみていかがでしょうか。
「多くのファン・サポーターのみなさんからすれば、私は“エンブレムを変えた社長”というイメージがあると思います。これは、この先もそうだと思いますし、私の退任発表があった際にも、SNS上でさまざまな議論や批判が起きているのを見ていました。今になって考えれば、MIXIから急にやってきた社長が最初にやったのがエンブレムの変更だったので、『何も実績を残していない人がいきなりやった』という印象でしょう。だから当時、何を言ったとしても、何の説得力もなかったですし、私自身に説得力がないので、どうやっても批判は出ていただろうと思います。
もちろん、プロセスは拙なかったです。エンブレムの変更に関して、いくつかのクラブがチャレンジしていて、先行事例を見つつもFC東京としては初めてのことで、誰も経験がないことでした。『どうやってやるのか?』とかなり悩みましたし、社内でクラブ歴の長い人、長くサポーターとしてチームを応援してくれてきた人たちを集めて議論を重ねましたが、結果的にスタジアムで大ブーイングだったので、どうやったとしても批判は出たのだろうと思っています。

エンブレムを変更した理由はあります。最後の機会なので、あらためて説明してみようと思います。
先にもお伝えしたとおり、私のなかでは『東京』をどう意識するかが大きなテーマにありました。そこでエンブレムに関して『東京=FC東京』を象徴するようなものになるかを照らし合わせて見るようになりました。最初からエンブレムを変更しようと考えていたわけではなく、FC東京に来てから半年くらいが経って、ふつふつと『何か手を打つべきではないか?』と考えるようになりました。
エンブレムの変更を発表した当時の配信で、私は『停滞感』という言葉を話しました。ただ、当時はその停滞感の正体を言語化できていませんでした。『東京』というものを意識できていない。目標を失っているのかもしれない。『それはなぜか?』と思っていました。
これについては、複数の意見や考え方があっていいと思いますが、FC東京は東京ヴェルディという存在に強く影響を受けてきた結果だと私は思っています。ヴェルディ川崎という全国区のクラブが東京ヴェルディとなり注目されていた一方、 FC東京は東京ローカルのクラブでした。ファン・サポーターのチャントに『ヴェルディだけには負けられない』とあるように、東京ヴェルディに追いつき追い越せ、という立ち位置だったと思います。全国区と東京ローカルというクラブの生い立ちの違い、ホームタウン、ホームスタジアムに関する因縁があり、FC東京はチャレンジャーであり、正当性を証明していくというプロセスだったと思っています。
Jリーグに参入して25年が経ち、私が社長に就任した時点では、タイトル歴以外は概ね立場は逆転していました。FC東京に関わった多くの方々の頑張りの結果、ファン・サポーターの数やクラブの売上、Jリーグでの直近の実績もすべて逆転しているという事実があって、『ヴェルディだけに負けられない』という状態ではなく、FC東京はFC東京として存在していたわけです。つまり創立当初に立てていた目標は達成していて、FC東京として新たな目標やゴールを持たなければいけない状態になっていたと思うのです。けれども、私が社長に就任してしばらくして感じたのは、リーグ戦のタイトルを獲るという目標以外のゴールを見失っていたということです。それこそが、私が感じた停滞感の正体でした。
だからまずクラブのフィロソフィーから書き直し、そこでスローガンを『東京が熱狂』としました。目的は、『東京』をクラブの内外に意識させることです。もともとあったスローガン『強く、愛されるチームをめざして』は、とても美しい言葉です。すごく大切な考え方ですが、一方でその言葉に甘えているような気がしました。クラブとしての行動原則を曖昧にしているようにも思えましたし、その言葉が指すのは自分たちではどうすることもできない究極の状態だからです。
そういった経緯もあって『VISION2030』で書いたのは、クラブの目標、ゴールを再設定することです。『東京=FC東京になろう』、『東京のカルチャーになろう』、『東京のブランドになっていこう』と再設定しました。それは現在の立ち位置からめざしていいゴールです。この再設定したゴールに対して、このエンブレムでそのゴールにたどり着けるのかどうか。『東京=FC東京』になるとなれば、サッカークラスター以外に届かないといけない。このエンブレムでそこに到達するのか、もっと違うやり方があるのではないかと思ったのがきっかけでした。
MIXIが当初から考えていたのではないか、グッズ販売のための商業的な理由ではないか、という意見はよく聞かれたのですが、それは事実ではありません。 FC東京が東京のブランドになっていくために必要な大きな手段としてエンブレムを変えたのです。もちろん、デザインを考える際は、商業的、マーケティング的な視点は考慮していますし、目的を考えた時に『TOKYO』の視認性は重視しました。クラブが創設された2000年前後と2025年ではデザインの考え方も異なります。当時のデザインがダメだったわけではなく、四半世紀も経てば、いろいろな常識も考え方も変わりますので、それには対応させていきました。
エンブレムの変更は、自分の任期中では最も難しい決断でした。エンブレム変更そのものやプロセスに対して、私が批判を受けることは全く構いません。ただ、クラブとしては目標の再設定とともに時計の針が前に進んでいます。この議論については、ここで終了してもらえるとありがたいと思っています。

それ以外については、ファン・サポーターのみなさんからのフィードバックを拝見するに、ビジネスの部分をしっかり伸ばしたことや、クラブの歴史に刻まれるトピックになるであろう練習場の移転や女子サッカーのスフィーダ世田谷FCとの統合などを評価していただいているようですので、非常に良かったと感じています。ただ、社長、クラブのトップにしかできないことは、ある意味そういうところだけですから、各現場のスタッフが事業を成長させてくれました。それはチーム、クラブ全体としての成果だと思っています」
──川岸社長は以前から「サッカークラブはビジネスとフットボールが両輪」という話をされてきました。ビジネス面が順調であった一方、フットボールへの投資に関する考え方をお聞かせください。
「振り返ってみると、FC東京は2019シーズンに惜しくもリーグ優勝を逃し、翌2020シーズンは人件費に約30億円を投じていました。これはクラブの歴史上最大で、私の在任期間でもそこまでは達していません。当時の判断としては勝負をかけて絶対にリーグ優勝するために、投資を一段階アップさせた形です。正直、クラブの体力を大きく超えた投資でした。そこで優勝できれば良かったのですが、コロナ渦に見舞われて経営が苦しくなり、Jリーグからの理念強化配分金も考え方が変わっていったので、タイミングが悪かったとしか言えません。
私が経営を受け取った時は2年連続の大幅赤字でした。膨れ上がってしまった人件費をキープできず、ダウンサイズさせるところからスタートしたこともあって、就任から最初の2年間は人件費に大きな予算を振ることができませんでした。
今から考えると、ビジネスサイドが予想を超えて伸びた3年目、年間売上がほぼ70億円に達した2024年が、フットボールの投資を踏み込むタイミングだったかなと思います。そろそろビジネス側の売上が“踊り場”に行きそうだと感じていましたし、どこかでフットボール側への先行投資が必要だと考えていました。2024年のフットボール側の踏み込み不足、経営判断のところで、私に勇気が足りなかったです。
フットボールの利益はフットボールに投資していくという考え方は今まで通りですが、シーズン移行によって移籍金が入ってくるタイミングも変わります。このあたりも踏まえてアグレッシブにフットボールへ投資しながら、あとで帳尻を合わせるくらいの思い切った動きをしないと、リーグ全体の成長スピードに付いていけないと感じています。他クラブの人件費がものすごく伸びているので、想像以上に競争環境は厳しいと思っています。そのあたりのさじ加減、どう戦っていくかは新社長に委ねていきたいと思います」
──ホーム、アウェイを問わず、ファン・サポーターのみなさんを出迎えるためにゲートに立たれていました。彼らとの向き合い、触れ合いについてはどのように感じていましたか。
「この4年半、ホーム、アウェイにかかわらず、ほとんどの試合でゲートに立たせてもらいました。大金(直樹)さんから社長を引き継いだ時に、『どうしたいですか?』と聞かれて、実は在任中もずっと考えていました。ただ、エンブレムを変えたことで、しっかりと向き合うしかないとも思いましたし、みなさんの気持ちを受け止めて何かあれば面と向かって説明しようと考えて、ずっとゲートで出迎えていました。そして、『優勝できたら、引っ込もうかな』と。ファン・サポーターの方々といろいろな話をさせていただき、いろいろな意見をいただきました。私も話せる範囲で率直に説明していました。ざっくばらんに話していたので、多くの方から『いろいろな話をしてもらえて良かった』と言っていただくこともよくありました。ファン・サポーターとの向き合い方というより、私自身がみなさんとの対話自体を楽しめたと思っています。

シーズンを重ねるごとに社長として何を発信していくか、何を話していくかが求められているとすごく感じました。いつもゲートに立ち、多くの方と話して、腹落ちしてもらうことがいいかなと思って、ずっとやらせていただきました。いろいろな方と本当に心を通わせて、意見を交換できた人も多くて、それは本当にありがたいですし、私としても嬉しく思っています」

──クラブの今後に向けて、最後にメッセージをお願いします。
「明治安田J1百年構想リーグの成果を刈り取りにいくのが、2026/27シーズンです。そこに注目して見ていただければ、ワクワクしたシーズンになるのではないかと思っています。また、来年2月には女子チームの『FC東京スフィーダ』が誕生します。『WEリーグ入りをめざす』と宣言したことで、現在は新規加入を受け付けていないWEリーグで議論が動き出したとも聞いています。ボルシア ドルトムントとの国際親善試合もあり、U-21 Jリーグも始まります。トピック満載の1年になるので、ぜひサッカー漬け、FC東京漬けになっていただきたいと思っています。
4年半という長いようで短かった期間で、このような立場で仕事をさせてもらったことに感謝しています。本当に多くの方々に支えていただきました。この場を借りて御礼を申し上げたいと思います。ただ、フットボールのところでは結果を出せませんでした。FC東京を支えていだたいているみなさまの期待に応えられなかったことはとても残念です。何としてもタイトルをとりたいと思ってやってきましたが、リーグ優勝も含めて、みなさんと一緒にそこに辿り着けなかったことは非常に申し訳ないと思っています。それでも特別大会は4位、昨シーズンの天皇杯ベスト4も含めて、タイトルの可能性を見せるところまでは持っていくことができたことは良かったです。
今シーズンはファン・サポーターの方々から「応援していて楽しい」というすごく嬉しい言葉をいただきました。新社長のもと、新しいチャレンジを続けていきますので、引き続き応援していただきたいと思います。私も今後は一人のサポーターとして応援し続けていきます。4年半、本当にありがとうございました」



◇これまでの経営レポートはこちら
2025シーズン総括積み上げた手応えと課題(前編)
2025シーズン総括積み上げた手応えと課題(後編)
2024年度決算報告とクラブの現在地(前編)
2024年度決算報告とクラブの現在地(後編)
2024シーズン総括 ビジネスとフットボール(前編)
2024シーズン総括 ビジネスとフットボール(後編)
2023年度決算報告とクラブの現在地(前編)
2023年度決算報告とクラブの現在地(後編)
