COLUMN 2026.5.21

연장전 -延長戦-

FIFAワールドカップ2026™に挑む韓国代表メンバー26名が発表されたその日、FC東京の守護神キム スンギュは埼玉スタジアム2002の熱狂のなかにいた。浦和レッズをPK戦の末に下した直後の高揚感──。その余韻に浸りながら確認したのが、自身4度目のワールドカップメンバー選出だった。

「スタジアムにいる時は浦和戦に勝った喜びのほうが断然大きかったんですよ。その帰路で家族や友人、妻から届いたお祝いメッセージを読みながら、ようやく実感が湧いてきました。またあの舞台に立てるチャンスがきたんだなと」

ソン フンミン(LAFC/アメリカ)と同じく4大会連続のメンバー入り。それは現韓国代表監督のホン ミョンボやファン ソンホン(現大田ハナシチズン監督)らに並ぶ偉業だ。だが、その言葉は驚くほど控えめだった。そこにはベテランとしての落ち着きと、ワールドカップのたびに彼が手にした“希望”と“現実”が同居していた――。

スンギュにとってのワールドカップの原風景は、2002年大会にある。小学6年生だった彼は、故郷の蔚山で行われたドイツ対アメリカの試合を観戦し、「雰囲気に任せてワイワイ楽しく騒いだ記憶しかないですけどね」と笑う。

選手として本大会を意識するようになったのは、2009年のFIFA U-20ワールドカップでベスト8進出を経験したあとだった。23歳で迎えた2014年のブラジル大会で初めてメンバー入りを果たしたが、正ゴールキーパー チョン ソンリョンの控え。チームの不振と守備の崩壊を受け、グループステージ第3戦のベルギー戦で突然出番が回ってきた。本人が「すさまじい重圧を感じて震えていました」と振り返る初舞台だった。

試合に敗れ、韓国もグループステージ敗退に終わったが、世界レベルのアタッカーたちが放つシュートを必死に跳ね返しながら、「これがワールドカップだ」という厳しさと喜びを全身で噛み締めた。憧れた“夢の舞台”は、この時から“勝負の場”へと変わった。

しかし、4年後のロシア大会は“挫折の場”だった。当時所属していたヴィッセル神戸でビルドアップが重視されてゴールキーパーにも足下の技術が求められるなか、スンギュは『守ること』と『繋ぐこと』のバランスに悩んだ。代表でも変化のなかで考え過ぎて自信を失った結果、正ゴールキーパーの座を同世代のチョ ヒョヌに譲り、ベンチから大会を見守るしかなかった。

それでも「試合に出られない間にも、サッカーについて深く考えさせられて、むしろ一番勉強になった大会でした」と腐らなかった。その葛藤と気付きが、成熟へと導く大きな糧となる。

そして迷いのトンネルを抜けたスンギュはロシア大会後、パウロ ベント監督の下で完全復活する。ビルドアップとポゼッションを徹底するスタイルにハマり、2022年のカタール大会では正守護神として全試合に出場。韓国を12年ぶりの決勝トーナメント進出へ導いた。

「一番記憶に残っているのはポルトガル戦で決勝ゴールを決めた場面ですね。残り時間が少なくなってきたなか、フンミンが猛然とドリブルで駆け上がり、最後はファン ヒチャン(現ウルヴァーハンプトン/イングランド)が決めた。その一部始終を最後方から見届けられたのですから最高でしたよ」

決勝トーナメント1回戦でブラジルに大敗したが、悲観も後悔もしていない。むしろ「自分が積み上げてきたサッカーに間違いはなかった」と確信できた大会だった。

ところが、そこから約1年後にキャリア最大の危機が訪れる。2024年1月、カタールで行われたAFCアジアカップの最中に右膝前十字靭帯を断裂。そこでは保存療法で手術を回避して7月に実戦復帰するも、同年11月に再び同じ箇所を負傷し、今度は手術を余儀なくされた。30代半ばで負った二度の靭帯断裂。それは彼から「日常」を奪い去る痛恨の決定打だった。

「最初に怪我をした時は『早く戻らなきゃ』という一心でした。でも、復帰してすぐにまた同じところを怪我した時は落ち込みましたし、言い知れぬ恐怖と毎日戦っていました」

当時はサウジアラビアのアル シャバブに在籍していたが、リハビリ期間中には一人の観客としてKリーグ(韓国)の試合に足を運び、スタジアムの隅からピッチを眺めたこともあった。自分の居場所を失った喪失感に耐える日々。「もし身体が以前のように戻らなければ、その時は辞めるのが正しい」と引退の覚悟すらよぎったという。

そんな孤独から救い出してくれたのは、「もう一度サッカーがしたい」という純粋な渇望と、リハビリ中に知り合って結婚した妻の存在だった。

「またサッカーをしたいという想いが大きかったです。そして、妻に再びピッチに立つ姿を見せたかった。それができなかったら一生後悔が残るような気がして」

そうして驚異的な回復を見せ始めた頃、一本の光が差し込む。それがFC東京からのオファーだった。

「KリーグやいくつかのJクラブからも話がありましたが、FC東京はわざわざ韓国まで来て僕の状態を直接確認したうえでオファーをくれました。再負傷のリスク、あるいはコンディションが戻らないリスクを承知のうえで、僕を信じて獲得してくれたんです。選手として、プレーで報いなければならないという強い責任感を感じました」

青赤のユニフォームに袖を通したスンギュの胸に、クラブへの『報恩』という名の火が灯った瞬間だった。

それから1年余り。彼は今でも小平グランドのピッチで刺激と新鮮な衝撃を受けている。「ハヤテ(田中颯)や若いゴールキーパーたちのプレーを見ていると、時折僕にもできない動作や反応が出てくる。そういう時は質問して勉強させてもらっています」と勤勉な姿勢を崩さない。さらに刺激を受けているのが、長友佑都や森重真人といったベテラン勢だ。

「特に佑都さんを初めて見た時は驚きました。目の前で見る練習量は若手よりも多い時があります。あの年齢であれだけのパフォーマンスを維持して、ワールドカップに出たいという情熱を持ち続けている。自分もベテランだと思っていましたが、まだまだ学ばなければならないと痛感させられました」

出場機会の有無に関わらず、誰よりも真摯に、そしてハードに練習に取り組む姿に、ベテランの真の定義を見た。彼らの言葉の力とメンタリティがFC東京の空気を変えることを目の当たりにし、自分も韓国代表でその役割を担うことを自覚している。

「昔は自分のことだけを考えていればよかった。でも今は、僕もベテランとしてチーム全体を見るべき責任がある。FC東京で学んだことを韓国代表でも示していきたい」

今大会で韓国代表を率いるのは、かつてJリーグでも活躍した韓国サッカー界の重鎮ホン ミョンボ監督だ。2009年のU-20ワールドカップで出会い、2014年の本大会でチャンスをくれた指揮官と、10年以上の歳月を経て三度世界に挑む。

韓国が第一目標として定めるのはベスト32。しかし、彼はその先の戦いも意識している。トーナメントを勝ち進めばPK戦も避けては通れない。「自分が主役になる準備はできています。FC東京での日々の激闘と練習が、世界でも通じることをかならず証明したい」と言い切る。

FC東京のファン・サポーターの熱く温かい声援は、いつも背中を押してくれる。新婚旅行に向かう自分を祝うため、空港まで見送りに来てくれたファン・サポーターの真心には妻も深く心を打たれた。リスクを顧みずに受け入れてくれただけではなく、世界への扉をもう一度開くきっかけを作り、公私ともに支えてくれたクラブとファン・サポーターには感謝しかない。

「だから、この感謝はピッチ上の結果でしか返せないと思っています。ワールドカップではFC東京の一員として恥ずかしくない姿をお見せすることを約束します」

青赤のユニフォームを着て明治安田J1百年構想リーグのプレーオフラウンドをともに戦えないことには後ろ髪を引かれる想いもあるが、心配はしていない。自身の不在中にゴールを守る後輩たちへの信頼は揺るぎない。「ハヤテも本当に誠実で良いキーパーだから心配していない。プレーオフもしっかり守り切ってくれるでしょう。ワールドカップから戻ったら、また一緒に力を合わせて優勝をめざしましょうとファン・サポーターのみんなにも約束したい」と力強く誓う。

5月17日に行われた代表選出会見で、今回のワールドカップを「サッカー人生の延長戦(ヨンジャンジョン)のようなもの」と語ったスンギュ。一度は引退を覚悟したからこそ、今のキャリアはすべて“ボーナス”のようなものという想いから出た言葉でもある。だが、ただの祝いごとで終わらせるつもりはない。4度目の出場だけに満足するつもりもない。

「ワールドカップは出た回数に意味があるわけではありません。しっかりと結果を残すこと。それが大事ですし、そこにこだわりたいです。ただ、だからといってガチガチに硬くなったり、悲壮感を持って臨むつもりもない。これまではワールドカップという舞台を心から楽しむ余裕がありませんでしたが、今回はこの大きな舞台でプレーできることを楽しみ、幸福感を感じながら戦いたいと思っています」

何より、今回の挑戦を支えてくれる家族の存在も大きい。ワールドカップ開幕直前、韓国の地で第一子となる娘が誕生する予定だ。苦しい時期をともに歩んでくれた妻と、生まれてくる小さな命に対して、父親として残すべき背中がある。

「生まれてくる娘がいつか大きくなったら、『君が生まれた時、パパはワールドカップという大きな舞台で戦っていたんだよ』と胸を張れる大会にしたいですから」

2014年の重圧、2018年の葛藤、2022年の成熟と歓喜。そして引退危機を乗り越えた先にある2026年の『延長戦』。キム スンギュは今、FC東京の誇りとファン・サポーターの想いを胸に、静かにそして熱く、4度目の大舞台へと向かう。

(文中敬称略)

Text by 慎武宏(ピッチコミュニケーションズ)