「自己分析」 阿部伸行2007.12.10

僕は自分の事を喜怒哀楽の激しい人間だと思います。
ちょっとした事で、すぐにいい気になって、調子に乗ってしまったり、小さな事でいつまでも怒っていたりしています。
練習中にイライラしていると、浜野GKコーチには、いつもすぐにバレてしまい気持ちがブレた状態でゴールマウスに立っていてはいけないといつも指摘を受けます。
GKは常に冷静にプレーしなくてはならないので、これは僕の課題であると思います。
この課題を改善するために、今は気持ちにブレがあると感じた時には、心の中の自分と会話をして、気持ちのブレの波を減らしていけるようにしています。
また、少しくらいうまくいかなくても、すぐに気持ちを切りかえられる様に、意識してプレーしています。
課題はたくさんありますが、これからの狙いとしては、自分の得意なプレーをどんどん練習し、磨きをかけていきたいです。今は、なかかな試合に出場する機会がありませんが、それならその分だけ練習に時間を費やせる事ができます。今後も、課題の部分と得意なプレーを伸していく事を忘れずに精進していきます。

「自己分析」 森村昂太2007.11.30

他人によく言われるのは、「昂太はマイペース!」とか「変わっている!」などと言われるので、ちょっと他の人と違うのかもしれません。
いつも人と違う事をやりたがり、自分の思うままに行動している事が多いので、マイペースと言われているのだと思います。
また、変わっていると言われるのは良く考えてみると、普通と言われるよりも僕自身は少し変わり者だと思われている方が良いと思います。
僕の仕事はサッカー選手なのだから、サッカーだけでなく人としても特徴があり魅力的な人間になりたいと思っています。

自分の事を考えてみると、結構1人が好きだったり、1人で買い物に行ったりとぶらっと出掛ける事はよくあるのですが、あまり1人でいると寂しくなってしまい友達に連絡をして遊びに出掛けています。

それから、僕はとても負けず嫌いです。サッカーのミニゲームの時など、負けると凄く腹が立ちます。でも、サッカーを続けていく上で、とても重要で選手として必要不可欠な要素だと思っています。
その負けず嫌いな心をいつまでも持ち続けていきたいと思います。

これから先、良い所はそのままで、悪い所は活かしつつ、今後のサッカー人生に役立てていければと思っています。
そのような、マイペースで負けず嫌いで少し変わっている自分をこれからも応援よろしくお願いします!

「自己分析」 吉本一謙2007.11.16

まず、自分の性格ですが、見かけによらず結構優しい性格だと思います。顔が恐いと先輩方にはよく言われてしまいますが・・・
例えば、人ごみで人とぶつかってしまった際には、先にすぐに謝るし、電車やバスの中では年輩の方たちにもすぐに席を譲ります。社会人として当たり前の事だとは思いますが、僕は、他の人よりも敏感にそういった事に反応します。当然、困っている人がいれば助けてあげたいと思う性格です。
ただし、グランドでは、ユニフォームの色が違ったら、例え友達であろうと敵とみなし僕のスイッチがオンします。つい熱くなりすぎてしまう時があります。けれども、プレーは熱く、心は冷静にいきたいと常々考えています。

それ以外には、人前で格好をつけたがる所があります。ただ、おしゃれに気をつかうというような部分ではなく、格好をつけて、自分が思っている事とは別の事をついつい言ってしまい、相手に嫌な思いをさせてしまう事があります。最終的には、話しのつじつまが合わずに、自滅してしまうのです。それに加え、苦手な事は整理整頓です。子供の頃から、学校の机の中やロッカーが汚くて先生や親に怒られていました。大人になった今でも整理整頓ができず、いまだに怒られています。早くこの部分は、直していかなければならないと思っています。

マイナスな事ばかりを書いてしまいましたが、今度は僕が自慢できる事を書きたいと思います。それは、人よりも寝起きが良い事です。周りの皆は、2度寝や3度寝をする事が良くあると聞きますが僕は寝覚めが良く、決めた時間に起きる事ができ、しかも眠りが深いので、清々しい朝を毎日のように迎えています。

サッカーに関しては、特にこだわりがあります。それは「絶対に気持ちで負けない!」という事です。試合や練習の際は必ず苦しい時や辛い時がありますが、絶対に顔には出さずチームが苦しい時には大きな声で皆を励まし、チームの雰囲気を盛り上げるようにしています。これから先、FC東京で絶対に試合に出場して、最後の最後まで諦めない姿勢を貫き、一生懸命に頑張っていきます。これからも皆さんの応援よろしくお願いします!!

「自己分析」 小山泰志2007.11.09

僕は小さい頃、とても恥かしがり屋だった。
しかし、体を動かしたりする時は恥かしい気持ちはなくなり、むしろ目立ちたがり屋になってしまう。それに加え、すごく負けず嫌いだった。
かけっこなど、競争になると絶対に一番でないと嫌だった。その気持ちがあったからこそ小・中・高とサッカーを続けてこられた。

今の自分も相変わらず恥かしがり屋。FC東京に入りたての頃は、周りの選手達ともまともに話せなかった。昔から会話の中心ではなく、その仲間達の中心人物にいじられる立場だった。けれど、いじられるのは嫌ではない。こらからも皆のいじられキャラでいたいと思う。それでチームのムードが良くなれば良い。

FC東京の皆といる以外の日常生活では、1人でいる事が多い。
そんな自分は、少し暗いかな?とも思う。だが、1人でテレビを観たり、ぐっすりと眠ったりする事が好きなのでしょうがないかなとも思う。
しかし、サッカーになるとおとなしい自分から強い自分に変身する事ができる。だから唯一、強い自分になれるサッカーが大好きだ。サッカーをやっていると嫌な事があっても忘れられるし、気分が良いとサッカーも調子が良くなり、練習が終った後ももっと気分が良くなる。

こうして、自分の事を良く考える事は、これからの目標が立てられたり、悪い所が分かったりして、とても大切な事だと思う。
結論!「小山泰志とは、簡単に言うとサッカーが大好きないじられキャラ」である。
これからも応援よろしくお願いします!

「自己分析してみます!」 平山相太2007.10.30

自分は、子供の頃とても目立ちたがり屋だった。
小学生時代は、とにかく人より目立ちたい気持ちが強かった。
身長では、昔からダントツに目立ってはいたが、問題はクラス内での存在感が重要だと思っていた。だから、授業中に先生からの質問に対して、素早く手をあげ答えるのはもちろんの事、クラス内のムードを盛り上げる為に、時にはボケて答えたりして、クラスみんなの笑いをとる存在だった。先生には迷惑を掛けしてしまったが・・・それについて今は深く反省している。。。

ただし、中学・高校と時の経過とともに、あまり目立つのを好まなくなっていった。理由としては、目立つ行為はやはり恥かしく思えてきたからだ。少しづつ大人になるにつれて、恥かしさも覚えた。

でも、サッカーではとにかく点をたくさん取る事で目立つ事になるのだが、自分の中では目立つというよりも、とにかくサッカーがうまくなりたい!一緒に頑張ってきた仲間達と楽しく長くプレーしたい!そう思う事が、自分のプレーの質も向上するように思えた。目立つより、仲間を尊重しチームのために一生懸命にプレーする事。それがとても大事だと思っていた。

サッカー以外の部分では、現在22歳となったものの、自分はまだまだ子供だと思う。チームの皆とゲームをしている時など、すぐに飽きてしまう。そのクセ気分屋であり、とても寂しがり屋である。飽きてしまうと言いながらも、チームの人が家から帰ってしまうと、とても寂しい気持ちになってしまう。やはり、サッカーの時だけでなく、普段の自分にも仲間が大事だなと感じている。皆と大きな声で、バカな話をしながら大笑いしている事が好きで、そんな時はとてもリラックスできている自分がいる。それから、焼肉などおいしい物を食べる事、暖かい布団でグッスリと眠る事も大好きだ。

外見の事も考えてみると、まず僕の髪型は昔から短髪であるが、これはやはり他の人が似合うような長髪が似合わない事は分かっているし、飽きっぽい僕は、髪を伸ばす過程で挫折するに違いない。

このように、自分を見つめる機会は今まであまりなかったが、自分を知ってもらう意味でも、これからの自分の人生においても、成長していくには必要不可欠なもので、とても大事な事であると思う。しかし、これから先も素直に真っ直ぐに、後ろを振り返らず、前を、とにかく前を向いて生きていきたい。

「実は・・・」 権田修一2007.10.19

僕の家は、バスケットボール一家です。
父、母そして弟の家族全員がバスケットボール経験者です。僕が小学生の頃は、サッカーの練習がない日に、ほぼ毎日バスケットボールで遊んでいました。

今でも、家族がみんな揃うと近くの公園や学校の体育館などで2対2などをして楽しく遊んでいます。当然の事ながら、僕のいるチームの方が強くなりますけどね。
小学生の頃は、サッカーと同じくらいにバスケットボールが好きだったので、漫画スラムダンクに登場する三井くんとキャプテン翼の若林くんの両方に憧れている少年でした。

これは、僕の持論ですがバスケットボールとサッカーのゴールキーパーは共通する面がたくさんあると思います。練習中に、クロスを受けている時にバスケットボールのリバウンドが活きている時があります。他にもキャッチングやステップの切りかえなどはバスケットボールとサッカーとでは通ずる部分があると思います。
なので、小学生の時に遊びでバスケットボールをしていて良かったと思っています。

僕は幼稚園の時に、サッカーを始め、そのまま今でもサッカーを続けていますが、幼稚園の時にサッカーを始めていなかったら家族の影響でバスケットボールをしていたかもしれません。
これからは、バスケットボールに触る時間は少なくなってしまうと思いますが、違うスポーツからヒントを得られる事も多くあると思うので、たまにはバスケットボールに触れてサッカーへの良い刺激になるようにしていきたいです。

「もしもサッカー選手になっていなかったら・・・」 阿部伸行2007.10.10

僕がもしサッカー選手じゃなかったら、きっと旅行マニアになっていたと思います。旅行を好きになったきっかけは幼いころから年に一回行く家族旅行です。

父の実家が長野県にあり、夏休みを利用して中学生ぐらいまでは毎年行っていました。
長野は自然がとても多く家族で湖でつりをしたり山でキャンプをしたりして、普段東京で生活している僕にとって刺激的なこと事ばかりでした。その時にもっと色々な土地に行ってみたいなと思いました。今でも、その気持ちに変わりはありません。

今年のキャンプで行った沖縄の石垣島や宮崎県の都城はとても良いところでした。
もちろん旅行ではなくトレーニングで行ったのですが、空き時間にその土地に触れる事ができてとても幸せでした。

こうしてサッカーを通じて、様々な土地に行く事が出来ているのですが、将来おじいさんになったらハイブリッドの車を買って日本中を旅行に行ってみたいです。
そして、さらに国境も越えて外国の世界も見てみたいです。

もしサッカーをしていなかったら、体力のある若いうちにチャレンジしていたかもしれませんがこの夢は将来の楽しみにしておき、サッカーで厳しいチャレンジを続けていきたいと思います。

「もしもサッカー選手になっていなかったら・・・」 森村昂太2007.9.28

もし、サッカー選手になれていなかったら、いくつかやってみたいと思い当たる事があります。

1つは、学校の先生で、これはワリと皆さんが一度は思った事があるのではないかと思います。小学校・中学校・高校ととても良い先生方にめぐり合う事ができて、その先生方に憧れる気持ちがあってそう考えました。

2つ目は、これもありがちな夢なのですが、サッカーの指導者です。人に好きなサッカーを教える事にとても魅力を感じますし、何よりもいつまでもサッカーに関わっていきたいという気持ちが強いからです。好きな事をずっと続けていく事は、簡単な事ではありませんが、とても素晴らしい事だと思います。

最後の3つ目は、僕は自然が大好きで、その自然に関係のある仕事ができればと思う事がありました。よく遠征などで地方に行く事がありますが、バスに乗って高速道路を走っている時は、バスの大きな窓の外を見て、森や畑や田んぼを見て、動物がいないか探したりしています。そんな時、音楽を聴きながら窓の外をボっーと眺めていると、非常に体も癒されるし、なんだか気が休まる気がします。
しかも時々、動物を発見できたりもします。いつも見つける事ができるわけではないのですが、北海道での遠征中にはリスを見つけたし、ヘビも見つけた事があります。それが、凄く楽しくて、自然も好きだし、動物も好きだしサッカーをやっていなかったら、自然の世界と関わる世界に進んでいたかもしれません。

ただし、プロ1年目の僕としてはもしサッカー選手になれていなかったら、サッカーの次に好きな事をできれば良いのでは?と今はまだ漠然と考えています。
でも、やはりサッカーがダントツに好きだし、素晴らしいスポーツなので、誇りを持ってプロサッカー選手として頑張っていければと思っています。

「もしもサッカー選手になっていなかったら」 吉本一謙2007.9.20

小さな頃からプロを目指してサッカーに取り組んでいたので、サッカー選手以外でなりたいと思う職業は今までなかった。
だから、サッカー選手を引退した後も、指導者などでサッカーに関わった仕事を続けていきたいと思っているが今回は、「もしもサッカーというスポーツがなかったら・・・?」という前提で、職業について考えてみたい。

最近、とても格好良いと思う仕事がある。それは、車のメカニックの仕事だ。プロサッカー選手になる少し前から車にすごく興味が出てきて、試合を観に行く時など、チームの先輩の格好良い車に乗せてもらうのが、楽しみのひとつだった。バスで移動する際も、時間があって暇な時間はすれ違う車を見て、将来自分が買う車を想像して楽しんでいた。

昨年、念願の免許を取り、自分で運転するようになれてからは、嬉しくて嬉しくて、目的もなく車で出掛けたりもしていた。
今年の初めにプロになれて、やっと自分の車を購入する事ができた。先月、その車を点検に出し、そこで車の内部の事が分からない自分にメカニックの人がとても親切に丁寧に、分かりやすく教えてくれた。その時、車の事ならなんでも知っているメカニックの人がとても格好良くみえ「こういう仕事もいいな!自分もなってみたい」と思った。
車を修理して、お客さんが喜んでくれたら嬉しいと思うし、自分は、スーツを着て仕事に行くよりも作業着を方が似合うかな?とも思う。

でも、やはり一番好きな事はサッカーで、これかも子供の頃からの夢だったプロサッカー選手になれた事を誇りに思い、これからも頑張っていきたい。最初にメカニックになりたいと書いたものの、エンジンルームさえ、ろくに開けた事がないのは、内緒です・・・

「もしもサッカー選手になっていなかったら」 小山泰志2007.9.10

もしもサッカー選手になっていなかったら、と考えると
今はサッカー選手としての生活を当たり前のように送っているので、
正直言って、なかなか良い発想が浮かんでこない・・・

ただし、僕も高校時代、将来を考えていた時に目標としている事があった。それは高校生の頃、ある時期がくると教育実習生が学校にやってきた。決まって実習生は、人気者になる。その時、思った事は自分も学校の先生になる事を目指せして教育実習に行けば、ちやほやされるのではないか?と甘い考えをしてしまった事がある。そんな理由で先生になれるわけはないと思ってはいたが・・・

でも、先生になるのだったら、やはり体育の先生が良いと思った。
体を動かすのは当然好きだし、教える事も嫌いではない。
保健体育のテストも得意だった。初めは、安易な気持ちで考えていたが、だんだん本当に先生になりたいと思ってきた。プロ入りが決まるまでは、先生になるのか、サッカーの世界で生きていくのか悩むほどだった。

学校の先生は、とても魅力的だったが、やはり今まで好きでやってきたサッカーの世界で生きていこうと決意した。プロサッカー選手になれるなんて、とても素晴らしいチャンスをもらった事を感謝し、チャンスを与えてくれたチームのためにも、自分のためにも、できるだけ長い間、選手として生活できるように頑張っていきたい。
何十年と続けていけるように努力し、引退した後には、子ども達にサッカーの楽しさや仲間との信頼関係を伝えられる指導者になれるよう、色々な経験をしたい。楽しい事だけでなく、辛い事、苦しい事を乗り越えていきたい。

とにかく今の僕には目の前にある事を精一杯やっていく事が大事だと思う。それは、練習は常に全力で取り組み、皆に認められるような選手となり、試合に出場して、今まで支えてくれた家族やファンの皆さん、スタッフの皆さんに報いるため、そしてチームのために全力を尽くし結果を出したいと思う。
指導者になるのは、それからだ・・・

「もしもサッカー選手じゃなかったら・・・」 平山相太2007.8.30

もしもサッカー選手じゃなかったらと考えた時に、2つ思いつく事がある。
まず、1つ目は少年の頃、僕は弁護士に憧れていた。特に「アメリカ」の弁護士に!アメリカは陪審員制で、弁護士の話術や頭の良さが凄く大切だと、とある映画で感じた。
その映画では、弁護士と検事のやりとりの時間がほとんどだった。そのやりとりは激論を交わしあい、しゃべりに迫力があって、人前で饒舌にしゃべるのが苦手な僕には、こんな風にしゃべる事ができたらなと思うものだった。
弁護士のように人前でうまくしゃべれる事はなかなか難しいとは思うが、これから先、もっともっと人前でしゃべれるようになりたいと思う。

そして2つ目は、最近歌手に憧れるようになっている。
きっかけは、「ゆず」のライブDVDを観た事から始まった。そこには、歌手2人と何万人もの観客が1つの歌で物凄く一体感を感じられた事だ。歌で人を感動させられ、こんなにも人を惹きつける事ができるなんて、とても羨ましく感じた。
という事を考えながらも、自分が音痴だったと現実に戻る・・・

だから、弁護士・歌手の夢は子供ができた時に、彼らに夢をたくそうと思う。生まれてくる自分の子供が、そうなりたいと思ってくれると良いのだが・・・現実問題、今の僕にはサッカー選手以外続けていけるものなんてない。
何よりサッカーが大好きだから!サッカー選手が自分の体を活かす一番の居場所だし、居心地の良い場所だ。芝生のにおい、そして大歓声の味の素スタジアム。FC東京のファンの皆さんを熱狂させられるように、そして子供達が憧れてくれるような存在になれるように全力で頑張ります。

この日記をご覧の皆さんは子供の頃、憧れていたもの、そして現在、もしも自分が○○だったら?と想像する事はありますか?皆さんがどのようなものに憧れていたか、とても興味があります。練習場などで、ぜひ教えて下さいね!

今の自分がある理由 権田修一2007.8.18

サッカーを始めてから色々な人に出会い、お世話になってきました。
その中でも、中学1年生から高校2年生までの大事な時期に教わっていた浅野GKコーチには特にお世話になりました。

小学校の時は、体の大きさで色々な選抜チームに入った僕にゴールキーパーとしての技術や心構えや楽しさを教えてくれました。
僕が勘違いしている時は、代表に入ってからも必ず厳しく注意してくれて、人間的にも成長させてくれたと思います。
そういう面でも、特に印象に残っているのは中学3年生の夏のクラブユース全国大会の準々決勝の次の日の事です。
その準々決勝は、僕のミスで2点を失い、PK戦になり、ギリギリで勝つ事ができました。そのPK戦の前に、僕は試合での自分のミスで落ち込み、平常心を失ったままPK戦に挑みました。「代表に入り続けていたいなら、そんな事じゃダメだ!」その言葉を浅野GKコーチに、言われた時の事は今でも覚えています。
本当に悔しくて、でもそれが事実で・・・しかし、その言葉のおかげで精神的に強くなれた気がします。

ここまで、僕の事を考えて指導してくれるコーチは、なかなかいないと思います。
だから、どんなに厳しい事を言われても、サッカーが嫌にならなかったし、常に向上心を持っていられたのだと思います。

もし、FC東京U-15に入っていなかったら、代表チームにも当然入れてはいなかっただろうし、プロサッカー選手には、絶対になれなかったと思っています。
僕も将来、引退した際には、浅野GKコーチのように、熱く心から親身になってくれる指導者になりたいです。

「恩師と出会って」 阿部伸行2007.8.10

今、僕はサッカーが大好きです。その気持ちは、サッカーと出会ってから今まで色々な事があったけれど、変わっていないと思います。
そう思える事には理由があります。僕の小学校時代のサッカーチーム「大和サンデーズ(東京都東大和市)」の一員であったからこそだと思います。

僕が小学校5年生の時でした。友人の誘いをきっかけに練習を見学してチームの雰囲気を見て、このチームでサッカーがしたいと感じました。そこで出会ったのが、後藤監督でした。後藤監督は、いつも仕事の帰りに僕達にサッカーを教えてくれて、毎日ボールが見えなくなるまで練習をしていました。

それが毎日本当に楽しくて仕方なく、僕はサッカーが大好きになりました。
そんな後藤監督が先月に事故で亡くなりました。信じられなかったし、とても残念で悲しいです。監督には、文章で表す事ができないほど感謝しております。
どんな技術よりも、どんな戦術よりも大切で素晴らしい事を教えて頂きました。
それはきっと仲間のみんなにも伝わっています。23歳でも、あの頃と同じ気持ちでいられるのは、当時の仲間のおかげであり、大和サンデーズのおかげであり、そして後藤監督に出会えたからです。

もうあの時のような時間が戻ってこないと思うとつらいけれど、受けとめて・・・みんなで先に進みます。雲の上からみんなを見ていて下さい。心からご冥福をお祈りします。
本当にありがとうございました。

「高3の夏」 森村昂太2007.7.27

高3の夏は、自分にとって、とても充実したものであったと思います。
もちろんサッカーに関する事が中心でしたが、学校生活などでも色々な事で自分を成長させる事がとても多かった時期でした。

その時期は、文化祭や体育祭があり、サッカーとはまた少し違った団結力や仲間の大切さを学ぶ事ができ、学校生活最後の年に成し遂げる事ができて本当に良かったと思います。

サッカーでも本当に素晴らしい経験をしました。夏のクラブユース選手権の全国大会は、僕達3年生の進路にも関わってくるような、とても大事な大会で、その予選リーグの時に、最も苦手意識を持っていた横浜F・マリノスユースと戦う事になりました。
その大会直前に吉本や権田、金森(現明治大学)らがケガで離脱し、状況は深刻でしたが、絶対に勝ち抜くという強い気持ちを全員が持っていたため、その団結力で不安な気持ちはありませんでした。

そして、迎えた予選リーグ最終節のマリノス戦では、勝たないと決勝トーナメントに進出できない可能性が高い中、2-1で逆転勝利を収め、無事に次のステージに上がれる事になりました。しかし、大会のシステムの都合上、次の決勝トーナメント1回戦でもマリノスと戦わなければならなくなりました。
全員が気を引き締めて試合に臨みましたが、相手に3点のリードを許してしまいました。もう、ほとんど足が動かない状況となり、諦めかけた状態から3点を奪い返し、延長後半で追加点を取り、ベスト4への道を決めました。
この勝利は、チームメイト全員の今後の財産になると思うし、絶望的な状況からの逆転は、本当に感動しました。
その後、準決勝ではガンバ大阪ユースに1-2で敗れましたが、この試合も最後まで全員が諦めずに戦えたので、悔いの残らない試合になりました。

今年の夏も精一杯練習して、自分を磨き、試合に出場できればと思います。
そして、今年の夏のクラブユースを戦うFC東京U-18の後輩達も、悔いの残らないように、全力で頑張ってほしいと思います。

「たくさんの恩師がいて今の僕がある」 吉本一謙2007.7.21

僕が、通っていた幼稚園には芝生のグランドがあり、そこで週に2回サッカーを習っていました。
芝生の上でスライディングをするのが大好きで、ボールが転がってくると意味もなくスライディングをしていました。
サッカーを好きになったのは、芝生で遊べたからであって、僕の最初の恩師は、芝生のグランドかもしれません・・・

その後、サッカーを習っていた「JACPA」というサッカー教室の選抜チームに入り、全国大会を目指したのですが、都大会の準々決勝で僕が、5人目のキッカーとしてPKを外し、全国大会への夢は絶たれました。
その時はショックで、何も考えられなかったのですが、当時の監督やコーチが家に来てくれて一緒に泣いてくれ、共に悔し涙を流してくれた思い出があります。この熱い監督やコーチが小学校時代の恩師といえます。

FC東京のU-15に入ってからは、長島さん(現FC東京育成部)や本吉さん(現FC東京U-18コーチ)、右田さん(現FC東京U-15深川監督)、丸山さん(現ヴェルディジュニアユースコーチ)から大人のサッカーを教わりました。丸山さんは、僕がU-15に入って初めて教わったコーチで、技術的な事はもちろんの事、サッカーでの大事な駆け引きの部分や楽しさ、それからサッカー以外の事もたくさん教えてくれて、何でも相談できるお兄さんのような存在でした。

高校生になってからは、U-18とトップチームの両方で活動していたので、両チームの素晴らしい監督やコーチと出会える事ができ、その分、他の選手以上に良い経験をたくさん積む事ができました。

僕は、小さい頃から、サッカーを通じて心から恩師と呼べる素敵な指導者の方々と出会う事ができました。この方々の誰か1人でも欠けていたら、僕はプロサッカー選手に、なれていなかったと思います。
皆さんに恩返しするためにも、早くトップチームで試合に出場して活躍し、安心してもらえるように頑張っていきたいと思います。

「恩師との出会い」 小山泰志2007.7.10

僕はこれまでに、山梨・千葉・東京と場所を移してサッカーを続けてきています。その度に、毎回新鮮な気持ちで新たな監督やコーチに出会い、指導をして頂きました。この出会いがあってこそ、今の自分が在ると思います。

そして、僕が技術的に一番伸びたと思う時期は、間違いなく中学生時代です。チームの監督は、みんなから「皆川さん」と呼ばれとても負けず嫌いな監督でした。チームの名前は「フォルトゥナSC(山梨県)」といって、ドイツ語で「幸運」を意味するチームです。あいさつも、ドイツ式に握手をして挨拶をする決まりでした。僕は、そんなフォルトゥナSCがサッカーを楽しませてくれ、さらにみんな良い人達ばかりで大好きなチームでした。練習は、1対1などの対人系が多く、とても人に強い選手になれたと思います。そして、フォルトナゥナSCでサッカーをしていたお陰で、当たりに強く、全体的にまとまった選手になれたと思っています。

その後、僕が入学した市立船橋高校では、石渡監督に人間的に成長させてもらったと思います。人に対する礼儀や仲間に対する思いやりの心を学びました。
練習では、フォルトゥナSCと同じように、対人プレーの練習が多く、とてもきつい厳しい練習が多かったです。中学生の頃にプラスしてさらに、人に強い選手になれたと思っています。

中学時代、高校時代と素晴らしい指導者の皆さんから指導を受け、そうした対人プレーを重ねたからこそ、人に強い選手になり、プロサッカー選手になれたと思っています。

僕の売りである人への強さをこれからも伸ばしていき、まだまだ練習をしなければならない所は、しっかりと練習して良い選手になりたいと思います。今は、居残り練習に付き合ってくれている三浦文丈コーチの言う事をしっかりと聞き自分を向上させていきたいと思います。

「僕とチームメイト」 平山相太2007.6.29

僕がこのチームに入団して約9ケ月になる。
チームの雰囲気も良く、優しい先輩や共に頑張ってきた同期の伊野波や梶山もおり、すぐに馴染む事ができた。これだけチームに馴染めて、集中して練習に取り組めているので、あっという間の9ヶ月間だった。

僕のポジションは点を取る事が仕事のFWだ。けれどもチーム内での普段の僕のポジションは、イジられキャラだ。ただし、同期の伊野波や梶山とは、常に一緒にいて仲良くしている。お風呂に行ったり、ご飯を食べに出掛けたりしている。

高校からの先輩である悠平(徳永)さんやいつも仲良くしてくれる今野さんや、憂太(馬場)くん、栗澤さんらには、少しだけ、可愛くイジられている。(イジられ方は、内緒です。)というよりも、自分から絡みに行って、嫌がられながらも、しつこく絡みに行くから、先輩の皆さんは仕方なくという感じで嫌々、僕の相手をしてくれている。

土肥さんや茂庭さん、八田さん、塩田さん、福西さんら経験豊富な方達は、僕が皆さんに「しつこく!、しつこく!、しつこく!」やっかいなディフェンダーのように、絡みにいく(絡みにいくというよりはジャレてもらっています。というのが正しいかもしれません。)僕がしつこくしても、皆さんは大人の振る舞いで、優しく突き放そうとする。
それでも、僕がしつこく絡んでいくので、結局は、相手にしてもらっている。

そして、年下の選手達に対しては、やっぱり僕が年上だから、少しだけ強気で偉そうにしている自分がいる。後輩も性格の良い人間ばかりなので、皆好きだ。可愛くて仕方ない。だから、僕から絡みにいく。文頭でイジられキャラだと述べたが、良く考えてみれば、自らその役割に飛び込んでいるように思う。チームが、それで盛り上がり勝利につながれば良いと思う。

嫌がりながらも僕を可愛がってくれる先輩や後輩の皆は、いつも温かく僕を迎え入れてくれる。だから、サッカーにも集中できる。だから、もっともっとファンのため、チームのため、自分のために勝利を、そしてゴールを狙い頑張ろうと思う。

「これからも頑張ります!!」権田修一2007.6.22

6月19日(火)の練習時に左ヒザの後十字じん帯を損傷するケガをしてしまいました。このケガで「FIFA U-20ワールドカップカナダ2007」を辞退する事となってしまい、僕を選んでくださったU-20日本代表の吉田監督をはじめ、代表のスタッフの方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この大きなチャンスをものにできなかったのは、とても残念ですが、僕は次のU-20ワールドカップにも出られる年齢です。もう1度代表に選出されるようにしっかりとトレーニングし、自分の力で再度アジアを勝ち抜き次のU-20ワールドカップに絶対に出場したいと思います。

ケガをした後の2日間は正直言って、けっこう落ち込みましたが、今はもう切り替えているので気持ちの方も大丈夫です。
少しでも早くケガを治して元気にプレーできる事を目指して山岸トレーナーと毎日リハビリに取り組んでいます。

まだヒザをあまり動かせないので、上半身や体幹を鍛える事をメインにトレーニングしています。もう少しすれば、ヒザの周囲を強化するトレーニングを始める予定です。
グランドに戻った時には、一回り大きくなり、皆さんに美しい肉体美を披露したいと思っています。

本当にご心配をお掛けしましたが、これからも頑張っていくので、期待して下さいね!
それから小平グランドで会った時は大丈夫?と聞かないで下さい。
僕は大丈夫?と聞かれるのが正直言って嫌いだし、なんと答えて良いか分からず、思わず「ダメです・・・」と答えてしまいそうなので・・・なので、いつものように「頑張って!」とお声掛け下さい!
これからもよろしくお願いします!!

「サッカー以外の時間」 阿部伸行2007.6.12

僕には、大きく分けて2種類の自分がいます。
インドアの阿部伸とアウトドアな阿部伸です。
まずは、インドアな阿部伸から紹介します。
練習が終わり、家に帰る前にレンタルビデオ屋に向いDVDを借ります。
(最近は木更津キャッツアイというテレビドラマにはまってます。)
大学生時代には、寮生活だったので、DVDを借りてくると大勢で観る事が多かったのですがプロになってからは、自宅で1人で観るので、どこか寂しい気がします・・・
そんな中、インドアでもう1つはまっているのは、任天堂のDSです。
僕はロールプレイングゲームが好きで、気がつくと1時間以上やってしまっている事があります。ただし、ゲームのやり過ぎには注意したいと思います。

次に、アウトドアな阿部伸です。僕のアウトドアにはテーマがあります。
それは「ノープラン!」です。特に買いに行く物はない、気になるお店で食事をしたいわけでもなく何もプランはないのですが、練習後に地元の友人に電話しては「ご飯食べにいこう!」、「銭湯に行こう!」「巨大ショッピングセンターに行こう!」などと言っては、強引に遊んでもらっています。
それで、ご飯を食べに行ったお店がなくなってしまっていたり、銭湯に行ったら、たまたま定休日だったり、まさにノープランなので、このような失敗もあります。

でも僕は、友人と過ごすそんな時間が大好きです。ドライブしながら、昔の話で盛り上がったり、現在の相談事や悩みを聞いたり、聞いてもらったり、この先の夢や目標を語り合ったりして、良い意味でとても刺激になります。
そして家に帰ってきた時に、いつもこう思うのです。「よし!また明日からも頑張ろう!!」って。
僕の生活の中心はサッカーです。でも、その周りには、いつも家族がいてリラックスできる自宅や、会えば笑顔でいられる友人達との時間が僕の活力になっています。

「オフの日の過ごし方」・・・森村昂太2007.6.02

僕のオフの日の過ごし方はいつもやる事が決まっています。
一番多いのは、家でゆっくりとテレビでも観て、体を休める事です。

他には、家の近くにある健康ランドにチームメイトと行く事があります。
中でも、梶山陽平選手や小山泰志選手、吉本一謙選手と行きますが、皆で楽しくサッカーの話題を中心に話しています。
最近は夏も近くなってきて、暖かく気持ちの良い季節で、露天風呂に入るのが非常に楽しみです。

試合が続いている週は、やはり体も疲れているので、しっかりと休養をとれるように心掛けています。
肉体的な面だけでなく、精神的にもリフレッシュするために、高校時代の友達や中学時代の友達達と
一緒に食事に行ったりもします。
地元が小平という事もあり、友達にすぐ会える恵まれた環境で、楽しく過ごす事ができています。

これからオフの日を有効に使って、それをサッカーにうまく役立たせていければ良いと思います。

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