ルヴァンカップ グループステージ特別コラム<br />
「成長を見守れる特権」 土屋雅史(サッカーライター)<br />

INTERVIEW2023.5.19

ルヴァンカップ グループステージ特別コラム
「成長を見守れる特権」 土屋雅史(サッカーライター)

FC東京U-18と聞けば、いくつもの光景が脳裏に甦ってくる。

思い出すのは重松健太郎(現ガイナーレ鳥取)の姿だ

ゴールだけをめざす獰猛な虎のような雰囲気を、高校生にして醸し出していたストライカーは、ある試合で下された判定への不満を露わにして、主審へと食って掛かりかけていた。必死に止めに入るチームメイト。ベンチからは倉又寿雄監督(当時)が諫める声を飛ばし、サポーターからは「健太郎!やめて~!」と悲鳴に近い声が上がる。もちろんそれはよしとされるような行動ではなかったかもしれないが、そのほとばしるエネルギーはプロサッカー選手になるための素養を十分に満たしていたように、今から考えても思う。


思い出すのは橋本拳人(現SDウエスカ/スペイン)の姿だ。もともとはフォワードだった少年が、今でも主戦場に置くボランチにコンバートされたのは高校2年の時。中盤には武藤嘉紀(現ヴィッセル神戸)や佐々木陽次(現カターレ富山)といった強力な“先輩”たちがいるなかで、ボールを奪い切れる能力を十全に生かし、すぐさまレギュラーを確保。高円宮杯全日本ユース、Jユースカップと2度の全国準優勝に主力として貢献しているうちに、世代有数のボランチへと成長を遂げていった。のちにロアッソ熊本ではセンターバックにもチャレンジしたが、今目の前にある環境と素直に全力で向き合う姿勢は、やはりプロサッカー選手向きだったと言っていいだろう。


思い出すのは平川怜(現ロアッソ熊本)の姿だ。それは劣悪なピッチコンディションを強いられたある試合のこと。チームメイトがボール扱いに四苦八苦しているなか、まるでスパイクに磁石が付いているかのように、こともなげに球体を手なずけ、いつも通りのパフォーマンスを繰り返す。それは少し古い話だが、フィリップ トルシエ監督時代の日本代表がぬかるんだグラウンドでフランス代表に完敗を喫した試合で、一人だけ平然と世界レベルの相手と渡り合っていた中田英寿のようだった。東京では望んだような成果は残せなかったが、昨シーズンから完全移籍で加わった熊本では、水を得た魚のように躍動を続けている。つまりは、やはりプロサッカー選手として、この世界を生き抜いていく確かなテクニックを有していたということだ。


2023シーズンの東京には、アカデミー出身の選手が10人在籍している。加えてこの春には、U-15深川出身である早稲田大学在学中の安斎颯馬の2025シーズンの内定が決まり、その数はもう一人増えることになった。

今シーズンのクラブが掲げた経営ビジョンは『東京が熱狂』だ。首都に本拠地を置くサッカークラブとして、「東京都民に選ばれるエンターテインメントになる」ことを宣言。その決意と覚悟を内外に示している。


現在のU-18を率いる奥原崇監督は、東京の初代10番。青赤が辿ってきた歴史は、この男が歩んできた道のりと過不足なく重なる。そんなレジェンドであり、今は若き才能を優しくも厳しく育んでいる奥原が語っていた言葉が印象深い。

「やっぱりこの首都で、『東京を熱狂させるようなチームに』というスローガンが出てきたからには、それをU-18でもどう体現していくかというところは考えています。お客さんはそのチームを応援したくて、そこに投資をしてくれるので、黙々と『僕は頑張ります』では、この先も東京の一員としては難しいんじゃないかなって。たとえば献身的な姿でお客さんを呼べる選手もいるし、凄くアクロバティックなシュートでお客さんを呼べる選手もいるわけですよね。どうやって『ユニフォームを買ってもらえるような選手』にしていくかというのは、クラブが進んでいく新しい道のなかで、我々の要素としても凄く大きくなるのかなと思っています」。

冒頭で述べた思い出は、まさに「どんな姿がお客さんを呼べるか」に直結している。重松であればアグレッシブさに満ちているエネルギー。橋本であれば目の前の環境を受け入れる素直さ。そして、平川であれば信じられないようなテクニック。それはプロサッカー選手として、何を武器にして生きていくかという根源ともイコールである。

翻って、現在のトップチームで頭角を現しているアカデミー出身者たちも、間違いなくユニフォームを買ってもらえるようになる“何か”が、高校生の頃から見え隠れしていたように思うし、それが解き放たれていく過程を体感させてもらったのは、私にとっても大きな財産だ。

バングーナガンデ佳史扶は、とにかく左足のキックが際立っていた。だが、優しすぎる性格が時には裏目に出て、その秘めたるポテンシャルを解き放てない時期も短くなかったように記憶している。U-18で最上級生になった時、当時の中村忠監督は彼をキャプテンに指名する。


その年の5月ごろ、本人に話を聞くと「チーム内でもキャプテンっぽくないですし、自分ではまだあまり慣れていないです」とうつむき加減で口にしていた姿を、今でもよく覚えている。それでも、U-23チームで戦ったJ3でのプレーと並行しながら、柄ではないキャプテンを務め上げたことで、シーズンが終わる頃には以前よりも明確な自信を携えていることは、ピッチでの立ち姿から窺え、プレーレベルも確実に上がっていたのだ。

今では日本代表にまで登り詰めたが、ふとした時に見せるかわいい笑顔は、高校時代とまったく変わっていない。たとえばコーンロウや銀髪といった目立つ髪型も、きっと自分自身にプレッシャーを掛けているのだろう。心優しきレフティが、これからどこまで飛躍していくのか、今から楽しみでならない。


熊田直紀は、とにかく何かをしでかしそうな空気感を纏っていた。だが、U-18ではなかなか周囲も彼のキャラクターを掴み切れず、時折試合に出ても目に見える結果を出すまでには至らない。2年時には高校年代三冠を獲った青森山田高校との試合にスタメン出場したものの、何一つインパクトを残せずに終わり、本人も言いようのない屈辱を味わったという。


3年への進級を目前に控えた春の群馬遠征で見た熊田は、明らかに何かが変わりつつあった。奥原監督にその感想を伝えると、「まだアイツは綱渡りなので、来週はいないかもしれないというような競争のなかで、今週はいろいろあったんですよ。そんななかで練習から逃げずに、週末のこの試合まで辿り着いたんです」と明かしてくれた。

詳細は定かではない。ただ、あの日の熊田は逃げずに『この試合まで辿り着いた』という。その1か月後に開幕した2022シーズンのプレミアリーグEASTで残した数字は、19試合で19ゴール。そのなかにはとんでもないオーバーヘッドを叩き込んだ1点も含まれている。チームメイトの信頼も勝ち得て、仲間と感情を共有する姿も格段に増えたように見えた。極端にシャイな人柄から、おそらくはまだトップチームでも自分を出し切れていないことは容易に想像できるが、その壁を乗り越えれば、あっという間にプロの世界でもゴールを重ね続けることだろう。


『東京が熱狂』を東京が体現していくためには、アカデミー出身の選手たちが“ユニフォームを買ってもらえる選手”になることが絶対条件だ。国立競技場での多摩川クラシコでゴールも挙げた安部柊斗は言うに及ばず、U-18時代にキャプテンを経験している寺山翼や土肥幹太、他クラブで経験を積んだ野澤大志ブランドンや木村誠二、野澤零温、得意のドリブルが認知されつつある俵積田晃太、プロの壁に直面しているであろう東廉太も、虎視眈々とブレイクスルーの時を狙っている。


青赤を逞しく背負っていくはずの才能は、小平の地で着々と芽吹いている。彼らがすでに持っている“自分だけの何か”という綺麗な花を、プロの世界で咲かせるために必要な時間を見守ることこそ、サポーターの特権であることに疑いの余地はない。

Text by 土屋雅史(サッカーライター)