バングーナガンデ佳史扶選手インタビュー<br />
「その背中を超え、東京のサイドバックに」

INTERVIEW2022.7.15

バングーナガンデ佳史扶選手インタビュー
「その背中を超え、東京のサイドバックに」

小川諒也は旅支度を整え、ポルトガルへと羽ばたいていった。

バングーナガンデ佳史扶が追いかけてきた背中はもう側にはいない。でも、かなえたい目標は握りしめたままだ。いつか隣に並び、追い越す日を夢見て。

2人の追いかけっこはまだまだ続く。


青赤で育った佳史扶が目にしてきたサイドバックの系譜。感謝の思いを胸に、日本一のサイドバックへとひた走る。

Q、日本一のサイドバックが目標という佳史扶選手が思う東京のサイドバックは、どんなイメージですか。
A、東京のサイドバックと言えば、日本代表というイメージがあります。プレースタイルに関しては、こういうカタチというのはないかもしれません。(長友)佑都さん、(太田)宏介さん、(室屋)成君、諒也君と、それぞれ持ち味や特長も違います。ただ、みんなそれぞれ特別な武器を持っていた。その飛び抜けた武器があるからこそ、日本代表にも選ばれているのだと思います。僕自身も自分の武器を伸ばしつつ、課題を補っていきたいです。

Q、攻撃的なポジションだった佳史扶選手がサイドバックにコンバートされた時期と、経緯を教えてください。
A、いろんなポジションをやってきたけれど、初めてサイドバックでプレーしたのは中学生のときでした。もともと攻撃が好きだったので「何で自分がサイドバックをやらなきゃいけないんだ」という気持ちが強く、その時はあまり好きになれなかった。高校2年生で、本格的に転向してからも、特長である攻撃の部分はぶらしちゃいけないと思ってきました。そこで戦っていきたいし、戦っていけるという自信もあったので。攻撃で周りとの違いをどれだけつくれるか、チームを勝利に導けるか。そこが自分として勝負していきたい部分です。

Q、これまで一番影響を受けた人はいますか。
A、サッカーをやっていた兄は自分にとってもっとも身近で、最初の憧れの存在でした。両親からは当たり前のことですが、周りに感謝しろということはずっと言われてきました。

Q、それが佳史扶選手の心の優しさにも通ずる原点なんですね。
A、僕よりも家族のほうがずっと優しいです。お父さんもメチャメチャ優しくしてくれます。

Q、きっと、優しくされたから人に優しくできるのかもしれないですね。
A、それは本当にそうだと思います。家族から受けた優しさのおかげかもしれません。

Q、感謝といえば、長友選手がルーキー時代からずっと口にし続けた言葉でもあります。
A、僕もずっとその言葉は大切にしてきました。サッカーをやっていく上でも、例えばレフェリーへの感謝、対戦相手へのリスペクト、応援してくれるファン・サポーターへの感謝はずごく大切です。勝手なイメージですが、リスペクトの気持ちがない選手はプロになる前にいなくなっていく。それぐらい大切なことだし、サッカーだけをやっていればいいというわけではないと思っています。

プロ入り後、いつも気に掛けてくれた小川諒也という優しき手本は、いつも「今日の練習どうだった」と親身に話を聞いてくれたという。


Q、小川選手は軽いとか、チャラいと誤解されがちですが、そうした気持ちを持っていたから本質に気づけたのかもしれませんね。
A、しっかりしていますよ、諒也君は。確かに、僕も最初はそういうイメージだったんですが、すぐに分かりました。ちゃんと見てくれていることに気づいたので。「全然、みんなが思うような人とは、違うんだな」って高校時代に練習参加したときから感じていました。

Q、うまくいかないときに、小川選手が声を掛けてくれたと話していましたが。
A、高校3年のときに練習参加してトップチームの試合にも出場できたんですが、プロ1年目のときにリーグ戦の中断明けからベンチに入っても試合に出られない時期が3カ月ぐらい続いていたんです。やる気がないわけではないんですが、考えすぎてしまって全部がうまくいかない時期でした。そんなときに、練習後にほぼ毎回諒也君が「今日の練習どうだった?」と、声を掛けてくれていた。「ここがうまくいかない」「全部がうまくいかない」という僕の話を親身になって聞いてくれました。練習の時も左サイドで一緒になることも多かったですし、たとえばサイドバックから攻撃が始まる練習のときに、うまくいかない時期は裏へのボールを全部ミスしてしまっていた。一度ミスすると、全くうまくいかずにそれが続いてしまう。そういうときは「何も考えずに蹴ってみれば」とアドバイスしてくれた。本当に困ったときに、いつも声を掛けてくれたのが諒也君でした。本当に優しい人です。

Q、遠慮がちな佳史扶選手がなぜ先輩たちに積極的に質問できたのか不思議でした。
A、初めて練習参加したときに宏介さんと諒也君の関係がすごく良くて、僕も緊張なく入っていけた。それがあったからだと思います、2人に対しては遠慮することがなかった。自分でも不思議なんですけど、すんなり溶け込むことができたんです。僕自身も自分がベンチでいて諒也君に対して「ミスしろ」なんて一度も思ったことはありません。諒也君が良いプレーをすると、逆に「良いプレーが見られたぞ」と思ってモチベーションが上がりました。きっとずっと諒也君から良いところを盗もうとしてきたからだと思います。試合中も、こういう状況ではこうするのかという発見がいつもあった。ライバル心もあったけど、ずっと勉強というか学びたいという一心でした。

世界を知る長友佑都から学ぶ日々と、心を軽くしたアドバイス。「この先輩たちから学べば間違いないという確信」


Q、ちなみに長友選手とはどんな話をしていますか。
A、メンタル面や、サッカーの技術的な部分では対人や、ポジショニングも含めていろいろな話を日々聞いています。一番印象深いのは、心の持ち様です。側で見ていてもすごいなって思います。この人だったらどの世界に行ってもやっていけるんだろうなって、試合や練習、トレーニングルームでの振る舞いに至るまで全てを見ていて思いますね。

Q、佳史扶選手も世界を目標にする中で、学ぶべきことは多いのでは。
A、世界のトップレベルを経験してきた選手なので学ぶことは多いです。最近までそういうレベルのリーグを肌で感じながらやっていた人なので、海外の若手はどんな食事をしているかも聞きましたし、そういうリアルを知っている人の話を聞けるのはありがたいです。

Q、そうした学ぶ姿勢や、向上心はどこから湧いてくるんですか。
A、東京のサイドバックは、代表レベルの選手たちだというのが一番かもしれません。ここにいれば確実に成長できるし、この人を超えられればという思いもあるから。先輩たちが残してきた実績からも、この人たちから学べば間違いないという確信もあります。

Q、小川選手も、よく太田選手の真似をしたと話していました。
A、諒也君がどういう風にやっているのかを見て真似るところからスタートして、自分のカタチにしようとしてきました。僕自身は精神的に落ち込んだり、調子を崩すと次の日も引きずってしまうことが多い。でも、諒也君はチームが本当にうまくいってないときも気持ちを切り替えるのがうまかった。僕とは真逆なんですけど、チーム状況がどんなに悪くても諒也君は練習に悪い雰囲気を持ち込まない。そこが一番勉強になったというか、僕にないものだといつも思っていました。自分もそうなりたいし、諒也君からも「あんまり考え込みすぎるなよ。もっと楽に考えてみたら」と、話してくれました。

Q、そうやって言葉にしてもらうだけでも自分の気持ちが軽くなった。
A、ハイ。それに、そういう風に振る舞っている諒也君を見ていてこういうやり方もあるんだって思うようになりました。

青赤のサイドバックに相応しい選手へ磨く誰にもないオリジナルの武器。目指すのは「東京のサイドバックといえば、佳史扶だ」。


Q、そして、小川選手がポルトガルに移籍し、東京の左サイドバックの新たな担い手としての覚悟を聞かせてください。
A、「東京のサイドバックといえば、佳史扶だ」と、みんなに思ってもらえるプレーは正直全くできていないと思います。まずはそう思ってもらえるように、自分でも胸を張って言えるようなプレーをしないといけないというのが一番です。理想としているのは、この選手は面白いと誰もが思ってもらえるサイドバックです。守備ができることは大前提として、攻撃で周りとの違いを見せつけられる。上下動でも、ゲームコントロールでも、クロスでも何でもいい。こいつは周りと違う特長がある、違いがつくれる。そういうサイドバックになりたいです。

Q、太田選手はポポヴィッチ監督と出会い、初めてフリーキックを蹴るようになりました。それが自分の唯一無二の武器にまで磨き上げた。小川選手も高校時代に毎日100本フリーキックの練習をしていたと言っていた。クロスもそうですが、セットプレーのキッカーになりたいと思いますか。
A、今年も何試合かでフリーキックやコーナーキックは蹴ってきました。ユキさん(佐藤由紀彦コーチ)からも、佳史扶が蹴れるかどうか見てみたいと言われたので、自分でも蹴ってみたいと思います。自信はまだないですけど。クロスもユキさんと(長澤)徹さん(現京都サンガF.C.ヘッドコーチ)にずっと見てきてもらって自分の武器になりつつある。ユキさんや徹さんには感謝していますし、もっともっと磨いていきたい武器の一つです。

Q、東京の背番号6は今野泰幸選手、太田選手、小川選手と日本代表選手が着けてきた番号でもあります。いつかは背負いたいと思いますか。
A、東京の6番はすごい選手が着けてきたことは分かっています。今シーズンや来シーズンになるのか、いつになるのかは分かりません。相応しい選手だと自分でも思えたなら着けたいと思うかもしれません。でも、今は背番号よりも、自分がどれだけ東京のサイドバックとして相応しい選手になれるかのほうが重要だと思います。そこができて似合う選手に、もしなれたと思えたら着けたいです。

Q、背中を追いかけていた選手がいなくなって、独り立ちするときだと思います。
A、今まで手本にしていた選手がいなくなり、ここからが勝負です。諒也君がいなくなったとはいえ、佑都さん、(鈴木)準弥さん、(中村)帆高君、岡庭(愁人)君もいる。ポジションが空いたとは思っていないですし、より競争も激しくなる。ここからはどれだけ結果を出せるかだと思います。チームとしても結果が重要になってくるし、貪欲にならないと。それが今まで自分に一番足りなかったことでもあるので、ゴールやアシストの数字にこだわっていきたいです。

約束の舞台への道のりは続く。日本代表で再会を果たし、追い越したい背中との勝負。「ずっと本気で超えたいと思ってきた」

Q、小川選手とは、この先もまだまだやり合いたいと思いますか。
A、諒也君が先に海外に行ったけど、もっと高いレベルの場所で再会したい。まずは東京に貢献して、どれだけ結果を出せるかだと思っています。それしか考えていません。全力でそこに取り組めば、自ずとそういう場所に僕も辿り着ける。そこで再会できれば、それ以上うれしいことはないですね。それは目標の一つでもあるので、絶対に実現させたいです。

Q、そして、いつかは超えたいと思いますか?
A、ずっと本気で超えたいと思ってきた人なので。まだ全然超えられていない状況で、海外に旅立っていった。その目標はまだ終わっていないので、いつか必ずかなえたいです。

Text by 馬場康平(サッカーライター)