J1リーグ通算300勝記念レジェンド鼎談<br />
アマラオ×ルーカス×石川直宏

INTERVIEW2022.6.15

J1リーグ通算300勝記念レジェンド鼎談
アマラオ×ルーカス×石川直宏

J1リーグ通算300勝記念レジェンド鼎談
アマラオ×ルーカス×石川直宏

「レジェンドが語る東京の勝利と東京らしさ」


東京が鹿島アントラーズ戦でJ1リーグ通算300勝を達成しました。クラブの歴史に名を刻んできたみなさんは、改めてこの数字の重みをどう感じていますか。

石川
僕が何勝分この300勝に貢献できたかというのは正直分からないですけれど、僕自身も100勝目を経験したり、長くFC東京に関わっている中で、アマ(アマラオ)とか先輩たち、東京ガスのサッカー部時代から今に至るまでの先輩たちがいて自分たちがいるという感覚を強く持ちながらプレーしていました。だから、今の選手たちにもこの300勝を節目に、そういった先輩たちがいて自分たちがいるんだ、というところを思ってくれた選手がどれだけいるのかというのは感じましたね。あと、ここから400勝、500勝と重ねていきたいという(渡辺)凌磨の言葉もあったので、それを聞くと伝わっているんだなとも思います。

アマラオ
東京は300勝という数字に相応しいクラブだと思います。僕らはJ1リーグの最初の試合で横浜F・マリノスと戦い、自分たちの流れで試合をしてゴールを決めて勝利しました。あの試合を皮切りに歴史を築いてきました。300勝に辿り着いたのは、全ての試合で勝利を求めてきた結果ゆえのことだと思います。クラブにあらためて言いたいね。パラベンス(おめでとう)。

ルーカス
ワタシだけ、日本語話さないね(日本語で)。アマラオさん、通訳お願いします(笑)。東京が300試合にたどり着いたのは本当に嬉しいですよ。僕らも含めて、その足取りに貢献したと思います。

石川
アマラオがクラブを離れた後、点が取れるフォワードが必要でしたけれど、アマラオが偉大だったので、そうなるのは(ルーカスにとって)簡単なことではありません。ルーカスは実力を持っていましたけど、当初日本に馴染むのは簡単そうではなかったですからね。でも、一生懸命もがきながら、アマラオと同様に熱を持ってやっている姿を見ていました。上手くいかない時期も長かったですけど、全員がルーカスを助けようという思いもありましたし、ルーカス自身もここで結果を残すという気持ちを感じました。そんな苦しみの中で2004シーズンのナビスコカップ優勝を勝ち取りました。最初は上手くいかない時期もありながら、チームに欠かせない存在になって頼りになりました。一回チームを離れましたけれど、2011年にまた戻ってきてくれて、ルーカスがいなければ、一年でJ1に昇格できなかったと思いますよ。連絡してくれた通訳の飯野(一徳)さんに感謝ですよ。

ルーカス
僕は移籍当時、日本に適応するのがすごく大変だったんですけど、ナオさん(石川直宏)は当時若かったけど、すごく助けになってくれました。ナオさんだけでなく土肥(洋一)さんやジャーンやケリーらもそうでしたね。アマラオ自身も当時、湘南ベルマーレでプレーしていましたけれど、僕を東京のあちこちに連れて行ったり、ボーリングや食事に誘ってくれましたね。ピッチ内では日本人選手に助けられましたが、僕は決して諦めなかった。ナオさんが言ったように2004シーズンにはタイトルも取ることができましたからね。


みなさんは、プレースタイルこそ違えど、それぞれが東京に対して強い思い入れを持つ方々です。東京で過ごした日々をどう振り返りますか。

アマラオ
僕にとっては誇るべき存在ですね。ピッチ内はもちろんだけど、ピッチ外でも見せてきた献身的な姿勢を認めてもらっていたと思うし、同時にクラブが僕に対して与えてくれたチャンスについても感謝しています。そしてチームメイトたちにも感謝していますよ。サッカーは一人ではできませんし、僕がクラブで残した歴史はチームの仲間とともに成し得た物だと思っています。

石川
僕がマリノスにいた当時、東京に対して持っていたイメージは、クラブの象徴は間違いなくアマラオでしたし、それは僕がここに入って一緒にプレーさせてもらっても変わることはありませんでしたね。なぜかというと、アマラオ自身が東京とファン・サポーターを愛していたし、怪我がちで練習に参加できない時もありましたけれど、やるからには練習でも常に100パーセント、120パーセントのプレーをピッチで表現していたし、そこも含めて東京の象徴ですよ。だからアマラオがクラブを離れた時、僕はアマラオにはなれないけど、その思いをしっかりと受け継いで自分がやれると思っていました。300勝を達成しましたけど、この先も魂が受け継がれていくという意味では日本国籍だろうが、ブラジル国籍だろうが関係ないし、東京の伝統として受け継いでいくべきですよね。

アマラオ
アリガトウゴザイマス。

石川
日本語分かった?(笑)

アマラオ
大体ね。

ルーカス
とりわけJ1にクラブを導いたアマラオがなし得たこと、そしてナオさんは恐らく、クラブの日本人選手で最も重要な選手だと思います。僕自身もアマラオが去った後に東京に来ましたけど、彼がなし得たことのお陰で色々なことがやりやすかったです。


3人の付き合いの中での思い出や印象深い出来事を聞かせてください。

石川
アマラオも怪我で苦しんでいたことがありましたけど、一緒に試合に出た時は僕もすごく楽しかったですよ。自分がサイドから攻撃して、クロスを上げてアマラオが頭で合わせてくれる。楽しかったし、頼もしかったですね。思い出といえば、アマラオがチームを離れる時の最後の試合の柏レイソル戦かな。

アマラオ
ナオには僕らも随分と学ばせてもらいましたよ。彼も怪我をする時期があったけどジムでピッチに戻るための努力をしている姿にはプロ意識を感じましたし、ピッチ内でもナオとはプレーしやすかったですね。サイドではシンプルに1対1に挑んで勝ち、そしてクロスを上げてくれることが分かっていますからね。ナオ、怪我をして復帰して、また怪我したことあったよね。ナオはそれでも諦めない選手。それは大事だし、また強くなって戻ってきたから勉強になりましたよ。

石川
アマラオがそういうことをやってきていていましたからね。アマラオが示す姿をね。怪我もそうだし、負けている状況でも諦めずに最後まで戦うとか、東京の本当に大事な部分はまさに、アマラオから学んで僕が受け継いで次の選手に伝えたかったし、僕が一番大事にしていた部分ですよね。

ルーカス
僕にとってナオさんとの思い出といえば、正確な数字は分からないけど、彼は僕が東京に在籍していた時にもっとも多くのアシストをしてくれた選手ということですね。ヴェルディとのナビスコカップの準決勝でナオさんが2アシストしてくれました。浦和との決勝戦に進む上でも大事な試合でしたし、すごく思い出に残っている試合ですよ。ピッチ外で言えば、ナオさんは一緒に焼肉に行ったり、本当に親しみやすいアミーゴ(友達)でしたね。

石川
ルーカスは本当に一緒にやりやすい選手でした。ボールを預ければ、しっかりとキープもして点も取ってくれる。サイドからのボールもヘディングで点を決めてくれるので本当に頼りになりました。アマラオがいなくなって、その存在感を誰が受け継ぐのかという時に、もちろん僕もそういう思いでプレーしていましたけど、やっぱりファンやサポーターは新しく来た外国籍選手に期待しますし、その期待を背負いながらプレーしていたルーカスに対して、僕らも期待しすぎた面もあるので大変だったと思いますけど、プレーで表現してくれましたよね。


東京の歴代の外国籍選手を振り返るとプレーはもちろん、人間性が優れた選手が多いように思います。その原点にいるのがアマラオさんではないですか。

石川
いや、本当にその通りですね。アマラオがいて、僕が一緒にプレーしたのはジャーン、ケリー、ルーカスと続きますけどアマラオが外国籍の助っ人とはいえ、日本人のような魂を持って戦ってくれていました。それがないと東京ではプレーできませんよ、というところを示してくれました。もちろん強化部がそういう選手を選んでいるんですけど、先日も国立競技場にアマラオがいた時に、ブラジル籍選手と話をしている姿を見ましたが、やっぱりアマラオの存在が受け継がれて今に至っていますよね。ディエゴ(オリヴェイラ)なんかもそういう魂を感じますしね。

アマラオ
僕を含めて、後に続くブラジル籍選手たちはみんな、責任感を持ってプレーしているし、僕が東京でプレーしていた当時、常に全力を出し尽くすことを意識していました。僕が最初のブラジル籍選手だけに後輩たちに扉を開く義務がありましたからね。僕の後にやってきたケリーもジャーンもルーカスも皆がいい仕事をしたと思いますよ。だからこそ今、東京はブラジル籍選手にとっての家みたいなクラブになったんだと思います。

ルーカス
僕はサッカーについて調べるのが好きなんですけど、アマラオがブラジル時代にイトゥアーノとパルメイラスでプレーしていたのは見たことがあったんです。ただ今と違ってネットが発達していなかったので、アマラオがいかに東京で重要な存在かは知りませんでした。ただ、彼と知り合って、ファン・サポーターからなぜこれほどまでに愛されるのかはすぐに分かりましたよ。2004シーズンのプレシーズンマッチで湘南と対戦したんですけど、これが彼と対戦した唯一の試合ですね。でも、2018シーズンに(OB戦で)一緒にプレーできたのは光栄でしたよ。

石川
アマラオとルーカスに共通するのは日本人より日本人っぽいところですね(笑)。本当に献身的で、プライベートでも一生懸命日本語を覚えたりとかね。自分から歩み寄る姿があるし、僕は人としても選手としても尊敬していましたよ。最後まで諦めない、戦う姿勢は東京にずっと受け継がれていますし、その大元の選手がアマラオとルーカスです。


300勝に貢献してきた皆さんですが、一番思い出に残っている試合を聞かせてください。

石川
自分が試合に出た中で何勝したか覚えていないですけど、僕が東京の一員として迎え入れてもらったのはリーグ戦でいうと2002シーズンのサンフレッチェ広島戦でしたけど、アマラオは覚えているかな。戸田さんがハットトリックした試合だよ。僕が移籍して当時のナビスコカップには出場していましたけど、ワールドカップでリーグ戦が中断していて、再開後のリーグ戦で自分がチームの一員として認められたいと思っていた中で、広島戦では思っていたプレーもできて、試合にも勝てましたし、しかも味の素スタジアム。やっと自分が東京の一員としてリーグ戦でも認められたという意味でもあの試合は記憶に残っていますね。楽しい試合だったし、このチームで自分が上手くなれる、これからもっと強くしたいとも感じましたね。あの試合は僕が初めて経験したブラジルデーみたいな試合でしたね。

アマラオ
サンバナイトだったね。

石川
こんなのやるんだって、思いましたよ(笑)。

アマラオ
300勝というのは凄い数字ですよね。僕にとって記憶に残る試合はたくさんあるけど、やっぱりJ1で最初の試合になったマリノス戦かな。僕がPKをもらって、ツゥットがすごくいいキックをして決めたんですよ。僕がマンオブザマッチに選ばれたけど、チーム全体が良かったですね。

ルーカス
僕は2004シーズンの移籍当初、調子が良くなくてブラジルに戻ろうと思っていた時期があったんです。でも6月の名古屋グランパス戦は逆転勝ちしたんですけど、僕も2得点し、そのうち1点は相手を5、6人ドリブルでかわして決めることができました。僕が点を決めたから印象に残っているわけでなく、逆転勝ちし、あの試合を機に僕もチームにフィットし始めたと思うんですよ。

東京の300勝を語る上で欠かせないのはやはり、ファン・サポーターの存在です。熱心な後押しをしてくれるファン・サポーターへの思いを聞かせてください。

石川
まずはサッカーが詳しい人が多いなという印象ですね。僕はマリノスにもいましたけど、有名な選手がいて女性が歓声を上げるという感じでしたが、東京はすごく男性の声がスタジアムに響きますし、それに結構相手をイジるんです(笑)。川口能活さんが結構カーッとなって怒るので、それをまたファン・サポーターがイジるみたいな(笑)。結構ユーモアがある方が多いし、敵にすると嫌でしたけど、味方にすればすごく頼もしいし熱い方が多いですよね。

アマラオ
南米の色が出ていますよね。東京のファン・サポーターは熱狂的で本当に素晴らしいと思いますよ。

ルーカス
ファン・サポーターの存在が懐かしいね。あれほどの声で、僕たちを後押ししてくれて、文字通り12番目の選手としての熱量を示してくれていましたよね。ブラジル国籍の僕たちはそういうファン・サポーターの熱さを知っていますけど、東京のファン・サポーターはブラジルのゴール裏とは違って、アルゼンチンっぽくいつも歌ってくれるし、本当に熱狂的ですからね。


300勝はFC東京にとっての通過点です。この先、東京にはどのようなクラブになって欲しいと思われていますか。

石川
これから選手、スタッフを含めて新しい人が入ってくるのは当然ですけど、その中で変わってはいけないものがあります。東京が首都のクラブとして海外にチャレンジする中で、立ち返る原点はアマラオやルーカスが示してくれたもの、その刺激を受けて僕が示してきた仲間を信じることと最後まで諦めないこと。そして何よりチームを愛することですね。この2人もチームを愛していたからこそ信頼されていたし、ファン・サポーターからも愛されていました。この2人に恥じない姿をクラブとして示さないといけないですね。

アマラオ
ナオが言った通りだけど、東京はすでに準備が整っています。あと必要なのは継続性ですね。クラブにはファミリーであり続けて欲しいですし、ゲレイロ(戦士)であり続けて欲しいですね。諦めないチームであって欲しいし、クラブへの帰属意識が高いチームであって欲しいと思います。

ルーカス
アマラオ、僕は嬉しいですよ。クラブはすでにファミリーというアイデンティティを確立していますし、ブラジル籍選手との結びつきも強いですよね。素晴らしいスタジアムもありますけど、最も重要なタイトルと言えるリーグタイトルはまだ手にしていません。そうしたタイトルを継続して取ることがよりクラブを偉大にすると思います。僕の夢は近いうちに東京がJ1リーグのタイトルを手にすること。それを成し遂げれば、クラブはより大きくなると思います。


Text & Translation by 下薗昌記(サッカーライター)