国立競技場の記憶 vol.5 #ThisisTOKYO

COLUMN2022.4.02

国立競技場の記憶 vol.5 #ThisisTOKYO

いよいよ4月29日(金・祝)に、東京が新国立競技場で初のJリーグを戦う。

改修前の国立では、Jリーグ加盟初年度から多くの公式戦を戦ってきた。思い出に残るスーパープレーもあれば、インパクトのあるイベントもあった。悲願のタイトル獲得以降、東京がすべてのタイトルを国立で獲得していることは、東京と国立の深い縁を象徴している。

俺たちの国立。

This is TOKYO.

新しい一歩を国立で刻む前に、これまでの国立に残してきた足跡、思い出を当時の写真とともに振り返る。

2004年 ジャーンの涙と初のタイトル

【試合情報】
2004Jリーグヤマザキナビスコカップ 決勝
FC東京 0(4PK2)0 浦和レッズ

忘れることのできない2004年11月3日。Jリーグナビスコカップで初のタイトルをもぎ取った。あの激闘の記憶は多くの人々の胸に刻まれているだろう。

ファイナルまでの道のりは決して楽なものではなかった。また、対戦相手の浦和レッズは3年連続で同大会決勝に進出。その時点でJ1リーグ首位をひた走り、対する東京は同9位。浦和の前評判は高かった。


ましてや東京にとっては初のファイナル進出で緊張感はマックスに。試合前、原博実監督が選手たちに掛けた「勝ったらオレが“ドトール”おごってやっから」の一言が張り詰めた空気を和らげた。はずだった。

しかし前半29分でDFジャーンが2度目の警告を受け、退場に。圧倒的不利な状況に追い込まれ、MF三浦文丈が無念の交代に。一方、急きょ出場し、センターバックを担ったDF藤山竜仁が八面六臂の活躍をみせる。GK土肥洋一や、ゴール前カバーに入ったFW戸田光洋までもが浦和の決定機をことごとく防ぎ、延長戦を含めた120分間を無失点でしのいだ。


渾身の力を振り絞り、もう動けないと感じたMF石川直宏は、交代の意思をベンチ側にいた戸田に伝えたが、ピッチを退いたのは戸田だったこと。

勝敗をかけたPK戦ではなかなかキッカーが決まらず、普段は奥ゆかしいDF加地亮が5人目に名乗りを挙げたこと。試合後には血尿が出たというDF茂庭照幸が、ペナルティスポットの浦和の選手に、にこやかに「勝たせて」とプレッシャーをかけていたこと…。

エピソードは尽きない。


秋晴れのコクリツ。暮れなずんでいく空の色の変化とともに感情が揺さぶられ、まさに喜怒哀楽がつまった時間を過ごせたことは幸せだ。


他方、ホペイロの山川幸則は、キックオフのホイッスルが鳴ってしまえば、その後の準備に奔走、試合を観ている暇はない。あの日も気が付いた時にはジャーンがロッカールームで泣きじゃくっていた。様々な対応に追われながら、現実を直視できず「家に帰りたい」というジャーンをなぐさめ続けたという。

クラブスタッフの中には国立から離れ、味の素スタジアムでの祝勝会の準備にまわっていた者もいる。それが報われないこともあると知りつつも。


どれほどサッカーが好きで、どれだけ東京を愛していても、ピッチに立つことはおろか、観ることさえもかなわないことがある。それでも共に戦うことの意味、そして誇りをもたらしてくれたファイナルだった。


Text by 藤原夕(フリーライター)