COLUMN 2026.5.25

夢五夜

第一夜

こんな夢を見た。

腕も組めず、ただうなだれていた。FIFAワールドカップ2022 カタール。ベスト8の壁に阻まれた直後、SAMURAI BLUE(日本代表)のメンバーは悔しさで誰もが下を向いていた。ロッカールームに戻ってきた長友佑都は「顔を上げろ」と繰り返し、「次の未来につなげろ」と仲間たちに語りかけた。大きな潤いのある眼で、長いまつげに包まれた中はただ一面に真っ黒であった。

その真っ黒な瞳に、南野拓実の姿が鮮やかに浮かんだ。決勝トーナメント1回戦でクロアチア相手に120分間の激闘の末、突入したPK戦で一人目に名乗りを上げて失敗した南野にこう言葉を掛けた。

「お前、勇気あるな、マジで。オレは蹴れん。マジありがとう。メッチャ楽しかったな」

周囲は「これで終わりだ」と、思っていたのかもしれない。

ただ、36歳のサッカー選手の透き通るほど深く見えるこの黒眼の色沢の奥には、違った景色が映っていた。「想像できることは実現できる」。そう言ってきた。

「若い時の自分が5大会もワールドカップに行くとは正直思わなかった。大卒で、正直、年齢を重ねるごとに目標も達成してきた。自分が本当に定めたモノ、獲物は絶対に逃さなくなった。4年後は40歳だし、実はカタール大会で年齢的に最後になると思っていたから、最後のミーティングで話をしたんだよね……」

最後のミーティングで、「佑都」と指名された。人から見れば、代表選手としての辞世の句を残すために与えられた機会だったのかもしれない。だけど、長友佑都だ。

「長友が、もし次のワールドカップをめざしていると言い始めたらみんな笑ってね」

その場にいるチームメイトやスタッフ全員が吹き出し、笑った。冗談っぽくは言った。ただ、内心は違った。まだ見ぬスタジアムで、蒼いユニフォームを着て戦う姿が頭に浮かんでいた。「何を見てんだろうって、これ意味分からん」。限られた人には「引退」をちらつかせていたから自分でも困惑していた。

「でも、自分のなかではしっかりとした目標として捉えられていた。自分は絶対に、自分なら行けると思っていた。根拠はないよ。そう捉えていた自分がいた。想像が明確にできた。行けるな、と思っていた」

4年前を振り返って、そんな話を真顔でするから「ごめん」と言いつつ、「ちょっと気持ち悪い」と声になってしまった。その反応には慣れているからだろう。「そうそう」と笑い、「気持ち悪いでしょ。マジで自分でもキモいなって思った」と言ってこう続けた。

「でも、想像できたから行けると思った。自分は想像できたことを捉えてきたから。口では言っているけど、想像できないことは捉えられなかった。過去には調子に乗って言ったこともある。でも、本当に心底から捉えられているかというと、そうじゃなかった。そういうことはやっぱり捉えられない。今回のワールドカップは捉えていたし、行けると思っていた」

遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「4年後はもう来ていたんだな」と、この時から気が付いていた。

第二夜

こんな夢を見た。

「世界一のサイドバックになる」

そう口にしたのは、2010年の南アフリカ大会が終わった夏のことだった。FC東京から海を渡り、イタリア・セリエAのACチェゼーナ(現:チェゼーナFC)へと期限付き移籍をした。半年後には世界有数のビッグクラブの一つ、インテル ミラノへと活躍の場を移す。

そこで本物たちに出会った。「かわすこともできなければ、ボールをとることもできない」。自信を失い、焦りが募った。そんな時だった。絶対的なキャプテンシーで『Il Capitano』と呼ばれ、誰もが認める世界一のサイドバック、ハビエル サネッティが目の前にいた。だから、躊躇なくストレートな言葉で彼に聞いた。

「あなたのような選手になるにはどうしたらいいですか?」

サネッティは人差し指で、トントンと自分のこめかみをつついて言った。

「佑都、ここだぞ。どんな時も“Positivo”だ。前向きに物事を考えなければいけない。良い時も悪い時も楽しむこと、いつでも落ち着いて冷静でいることが大事なんだ」

カルチョの国で、世界一苛烈なメディアから辛辣な言葉を並び立てられたことも少なくない。熱烈なインテリスタから心ない言葉を浴びることも日常だった。力なく頭を垂れるたびに、サネッティからは「Positivo,Positivo Yuto」と声を掛けられた。

「常に教えてくれた。それは自分がうまくいかない時も、チームの結果が出ない時も、常にそう言い続けていた。彼のメンタルがブレているところは見たことがない」

ピッチに立てば、無尽蔵のスタミナと高い戦術眼でチームをけん引する。サネッティの真のキャプテンシーに何度も救われた。気付けば、その姿を目で追い、話をするたびに心を打たれ、近付きたいと背中を追いかけてきた。

「世界一のサイドバックはオレのなかではサネッティだった。“数年間、世界トップレベルに到達しました”ではいけない。オレにとっての世界一のサイドバックの概念はそうじゃない。長い間、第一線でどれだけ活躍できるか。そして、多くの人に影響力をもたらせるかだと思っている。そういう意味で、サネッティは特別だった」

自らを「大グセ」と呼ぶ「唯一無二の魂」はそうして育まれた。そのキャリアで何度もどん底を味わった。その度に、サネッティの言葉が心の奥底から響いてくる。「Positivo,Positivo Yuto」、と。だから、いつだって前を向けた。

第三夜

こんな夢を見た。

「ワールドカップで優勝する」

2014年のブラジル大会。27歳という選手として脂が乗って迎えた大舞台で、どん底を味わった。下馬評高く、優勝を掲げて臨んだ本大会はグループステージ初戦でコートジボワールに敗れ、それまであったはずの自信が脆くも崩れた。不安に陥ったチームは第2戦でギリシャに引き分け、第3戦でコロンビアに大敗して夢破れた。

「優勝と口にはしたものの、実際に心の底から思っているかというと、そうではなかった。選手の質はもちろんあったが、優勝するだけの実力は日本にはなかった」

キャリアで一番の挫折を味わった。失意のどん底から立ち直り、前を向かせてくれたのは新たな家族の存在だった。女優の平愛梨さんと2016年に婚約を発表し、翌年1月に婚姻届を提出した。そこから二人三脚で「一緒に戦ってきた」。

やっとの思いで、自身3度目のワールドカップとなるロシア大会に辿り着く。ただし、直前の監督交代もあり、日本代表は暗闇にいた。西野ジャパンは誕生から2連敗を喫し、深刻な悩みの淵に立たされていた。試合会場のスイスから事前キャンプ地であるオーストリアのゼーフェルトに戻った翌日のオフだった。選手たちはそれぞれのグループに別れ、街へと食事に出掛けた。

だが、長友だけは宿舎に直行する。オフ明けに自称「スーパーサイヤ人」というド派手な金髪姿で姿を現した。渦巻くヘイトを一身に集め、窮地で批判の矢面に立ち、日本代表に光を差した。

ピッチに立てば、泥くさくユニフォームを汚し、誰よりも走った。どん底からチームを引っ張り上げたのは、間違いなく長友だった。それでも、ベスト8の壁は越えられなかった。サッカー史に残る美しきベルギーのカウンターの前に散り、ロストフ アリーナで涙をのんだ。

ともに戦った仲間たちの多くは、代表引退を口にしてSAMURAI BLUEを卒業していった。それでも長友は生き残った。さらなる批判も集め、それをガソリンに代えてカタール大会でも走った。青草を踏み分けるような勢いで無尽蔵に──。

第四夜

こんな夢を見た。

「現役続行を表明し、北中米大会をめざす」

しかし、カタール大会以降は、SAMURAI BLUEメンバーリストの中からその名前は消えたままだった。その期間は1年以上続いた。

「日本代表って替えが効かないモノなのだと思った。自分の中の原動力になっていて、寂しさや日本代表の誇りをあらためて感じられた期間だった」

それでも、這い上がってきた。2024年のAFCアジアカップで日本代表がベスト8敗退という失意の状況にあるなか、大会後初の活動となった3月に行われた朝鮮民主主義人民共和国との連戦で、カタール大会以来1年4か月ぶりに代表復帰を果たした。

「復帰した時の代表チームは、正直に良い雰囲気とは言えない状態だった。もちろんアジアカップで負けたこともあったし、何か空気が淀んでいる気がした。でも、自分なら“空気清浄機のように”、その空気を前向きな空気に変えることはできると復帰初日に確信した」

ただし、与えられた役割は、ピッチ内ではなくピッチの外での働きに重きを置かれたものだった。招集されても、ベンチ外の日々が続いた。

「ピッチに立ちたい想いと悔しさはあった。苦しかった。でも、チームのために自分の気持ちを優先するよりもチームを支えることが絶対にワールドカップにつながる。絶対に道は開くと信じていた。だから、できた。ピッチには立てていないけど、絶対にワールドカップのメンバーに選ばれて、そこで力を発揮する。そのために今できることを100%やると。そこだけは変わらなかった」

招集しても、試合には使わない──。森保監督からそう伝えられるたびに受け入れ、自分の役割をまっとうし続けた。かつてサネッティがそうしてくれたように、かわいい後輩たちを支えて彼らを前に向かせた。

「そんなの苦しいに決まっている。だから、僕以外にはできない。でも、その精神的な強さが僕自身にはある」

自分の経験や代表の誇りを伝え、陰日向となって、チームに熱量を注ぎ続けた。申し訳なさそうにする森保監督には「本大会でオレはバケモノになるから。絶対に森保さんに選ばせるようにするから。心配しないでください」と、いつも笑ってきた。アジア最終予選の突破が決まった時は「少し報われた」という。

「ワールドカップにつながるために自分の気持ちを押し殺して戦ってきた。ワールドカップは夢であり、目標だから。そこにつながったのは素直に嬉しかった」

安堵したのは一瞬だけだった。

「あとはバケモノになるだけ。全盛期のインテル時代を取り戻す」

そう言って本大会に向けたサバイバルレースに身を投じた。眠った子を起こすようにして、昨夏を越えたあたりから順調にコンディションを上げていった。瑞々しさや、かつてのプレー強度が蘇り、ピッチを縦横無尽に走り始めた。

第五夜

少し奮えた声で、「こんな夢を見た」と言われた。

「これで佑都さんが目立つストーリーができたね。そんで、佑都さんがキャプテンマークを巻いて優勝カップを掲げるんだよ。すごいじゃん」

5度目のワールドカップメンバー発表を2か月後に控えた、2026年3月の明治安田J1百年構想リーグ 地域リーグラウンド第6節水戸ホーリーホック戦の前半22分、右太腿部を負傷して途中交代を強いられた。

さすがの長友も落ち込み、アウェイの遠征から戻って自宅の扉を開けた。そこで待っていた妻から、そう声を掛けられたという。

「愛梨は神だよ。誰もこんな大曲者のことを支えられない。普通は無理だよ。世界に一人だけだよ」

女神の言葉と子どもたちの笑顔に救われた。ただし、フィジカルトレーニングの期間と合わせると、ワールドカップメンバー発表前の試合復帰は困難を極めた。

「ドクターもトレーナー陣もそうだし、みんな悲しい顔をしていた。全治の期間が試合に復帰できる日数だとオレは勘違いしていた。本来なら復帰まで3か月コースだった」

焦りは募った。諦めかけたこともあった。「全然モチベーションが上がらない」と、あの屈託のない笑顔が消えかけていた。

これまでサッカーにすべてを捧げ、多くの犠牲を払ってきた。その日々を知るFC東京に関わる人たちは、彼がどんなに大口をたたこうと鼻で笑ったりしない。まるで命を削るかのように毎日を送り、絞り出す汗の量を知るからだ。40歳を前にした今も、プロとしてのあるべき姿を毎日貫き通してきた。

だから、クラブが総出となって、長友の夢を後押しした。トレーナー陣は休みを返上してまでケアに付き合い、寄り添い続けた。

「オレが発表までに復帰するという目標をみんなもすごく感じてくれて、寄り添ってくれた。FC東京のスタッフ一人ひとりが想いを懸けてオレを導いてくれた」

決死の思いで間に合わせた。ワールドカップメンバー発表直前の5月10日、第16節の東京ヴェルディ戦で先発復帰を果たす。森保監督の御前試合で魂を奮わせ、走り戦った。

「やれることは全部やった。だから、どうなっても何の後悔もなかった。この結果がどうであれ、『あの時こうしていれば』とは一切思わなかった。でも、自分が動ける姿を見せなければ終わりだと思っていた。だから、結構緊張したよ。久しぶりに野性味ある眼光だったでしょ? 後輩たちに挨拶しても、みんな目を逸らしたからね。自分の足も無事で、80分近くプレーできた。どこかで神様が見ていてくれたのかな。苦しみながらも、一切手を抜かずに前に進んだ自分を見てくれて、ご褒美をくれたのかなって思う。そのくらいの一日だった」

最終夜

こんな夢を〝みんな〟で見る。

「5度目の正直を果たす時だ」

5月15日に行われたSAMURAI BLUEのワールドカップメンバー発表で、長友佑都の名前が森保監督の口から読み上げられた。自然とこみ上げるモノがあった。気付いたら涙腺が崩壊していた。心が暖まる情景が頭に浮かんだ。「感謝」に込めた思いには、これまで口にした「感謝」とは雲泥の差があるという。

「もう感謝1000%。あふれました、感謝が。嬉しいとか、ホッとしたというよりも、感謝があふれ出た。ここまで来るのに苦しみながらも、この4年間を歩んできた。家族のサポートも、FC東京のみんなのサポートも、ファン・サポーターの後押しにもすべてに感謝。支えてきてくれた人の顔がバーっと走馬灯のように浮かんできて、もう感謝1000%の気持ちで埋め尽くされた。苦しいなかで、みんなに助けてもらった。家族も愛梨も、東京のスタッフのみなさんも、自分をワールドカップに連れて行くためにみんなが本当に必死になってくれた。クラブ全体が必死になってくれた。その愛情が伝わってきて、感謝で涙があふれ出た」

直後に心配する妻の携帯電話を鳴らした。「良かったね」という言葉に「ありがとう」と返した。絆を確かめ合うように「またここから最高の準備をしようね」と誓い合った。四人の子どもたちにはもう「ワールドカップに5回出る男だから」と言い続けてきた。嘘つきの父親にならなくて済んだ。

「愛梨も泣いていた。号泣だよ。一緒に戦ってきたからね。本当に愛梨の支えがなかったから今の自分はいない。彼女のことは現役後も幸せにしなきゃいけないけど、このワールドカップで活躍して日本を優勝に導いて、愛梨も、FC東京のみんなも、オレを支えてくれる、応援してくれているみんなに恩返ししたい」

携帯電話は、発表直後から鳴り止まなかった。堂安律からは「しぶといですね」と言われ、久保建英からは「最高の男ですね。かましたりましょう」とメッセージが届いた。

「2010年の時の気持ちと似てる。あの時も青赤を背負って世界へと旅立ったでしょ」

発表翌日に行われた浦和レッズ戦、青赤の歌唄いたちは『青赤の誇り 長友佑都』という横断幕を掲げた。

「純粋に嬉しい。みんながそうやって青赤を背負って旅立つ自分に対して誇りだと思ってくれていることに。それを目の当たりにした時の感情は忘れられない。そのくらい嬉しかった。このストーリーを完結させるために、最終章は最高のカタチで締めくくりたい。よくこんなオレについてきて応援してくれた。相当クセが強いから、嫌いな人も多いと思う。でも、ずっと僕が若い時から信じて、僕のことを応援してくれた人がいる。その感謝の想いはワールドカップを掲げることで返したい。ありがとうございますと伝えたいです。だから、見ていてください」

何度も批判にさらされ、ときには鼻でも笑われてきた。長友と、その周りにいる人たちは意に介さない。なぜならこんなブラボーな男と一緒に笑い合うほうが1000倍楽しいに決まっているからだ。

2010年の初挑戦から失意、悲劇、歓喜を刻んできた。そして、5度目の正直だ──。

その壁の厳しさと、逃げずに挑戦してきた楽しさを知っている。それが長友を虜にしたワールドカップの面白さなのだろう。

良い時も悪い時も気付けば、いつも隣で自分を信じて一緒に走ってきてくれた人たちがいる。そのみんなの想いを背負って、新たな景色を見に行く。オレたちの誇りが、きっと日本中を笑顔にしてくれる。

長友佑都には、そんな夢がある。

(文中敬称略)

Text by 馬場康平(フリーライター)
Photos by Kenichi Arai / Tomoo Aoyama / JFA / J.LEAGUE